(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年12月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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守口市土居町 守居神社


守口市土居町に鎮座する「守居神社(もりいじんじゃ)」です。


守居神社(もりいじんじゃ) 略記

当神社は醍醐天皇延喜十八年九月十九日(918)此の地に鎮座して素盞嗚尊(すさのをのおおかみ)賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)をお祀りしてあります。

社記に天道神太歳神殺神・また素盞嗚尊・三輪明神・清瀬明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として、此の地に土居を生築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで地名を土居と称し、昔は土居神社と社号されておりました。

明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)、産土神社(祭神素盞嗚尊)をまた明治四十年十月に守口町大字守口字猿島(現在の桃町)大隈神社(祭神茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてより守口の総産土神となりました。

当社の一番古い記録では、後宇多天皇建治年間(1275ー8)に当社で祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして親しく横難中○の危を救い給う諸病満足すること幾千万と云う数を知らず」と記されてあり、往事より御神威の赫々たることが伺いしられます。後小松天皇嘉慶年間(1387ー9)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し当社に祈願して難を逃れた。

ついで後花園天皇寛正四年(1463)再び大流疫があり、嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美花を作りて祭祀を修した。この祭りを災祭ともいい現今の夏祭に其の行事を伝えています。

天文十三年(1544)に林海の記した当社の由来記、又寳歴十三年(1763)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日前代未聞の大洪水があり、大門鳥居流失し社殿失損寳殿流損したので地方に寄進を仰いで其の社域を南向に寳殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録が見えます。

昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐○の至りと成ったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造替営繕が進められ昭和十六年十月総工事完成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。(因みに旧本殿は移築して境内稲荷神社の本殿となっています。)

昭和二十三年六月に奉賛会結成・発足○来遂年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・石玉垣・社號標建立・大石鳥居建替・狛犬・燈篭・奉献等諸施設竣成し、遺近の参詣者は日増しに多く、災厄解除・家庭和合・開運繁栄・悪疫防除の守護神として御神徳益々輝いています。』

かなりの情報量ですが面白く読めます。


守居神社(もりいじんじゃ)

この神社は、社記によると延喜十八年(918)淀川洪水の時、西南石碑の淵で、我天道神也。我を祀れと鈴の声でお告げがあったので、「土を居いて」お祀りしたのが始まりと伝えられ、祭神は、素盞嗚尊(すさのをのみこと)(ごず(牛頭天王))で三輪明神(みわみょうじん)日吉権現(ひえごんげん)新羅明神(しんらみょうじん)とも記されています。社名は守口と土居の各一文字を用いて守居と呼ばれています。

当社には、昭和五十六年大阪府指定有形文化財となった「守居神社刀一口」があります。この刀は(なかご)(中子)に「備中守橘康廣(びちゅうのかみたちばなやすひろ)」の銘があり、刀匠の一派である近江石堂派のわかれで、江戸時代の寛文年間(1661ー1673)ごろ大阪に出て作刀し、大阪石堂派の祖となった康廣の遺品であります。刀文は焼巾の広い丁字乱れが特色で、康廣の代表作の一つに数えられています。

昭和六十三年三月 守口市教育委員会』


恵比寿人形があり『此の恵比寿人形 淡路島阿那賀の民家倭内に百数拾年間祀られていたもの 平成拾七年拾弐月 当地に遷座』と記されています。

なかなかの歴史があります。