(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年11月27日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大東市新田東本町 大神社〔新田山王宮〕


大東市新田東本町に鎮座する大神社(だいじんじゃ)です。新田山王宮(しんでんさんのうみや)と呼ばれているようです。

『由緒 山王宮(さんのうみや)

祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)

祭礼 十月二十日

新田という呼称は、当時の既存の集落に対し、新しく開拓された土地であるところから付けられたものである。しかし、豊臣秀吉の太閤検地を受けており、その時点での新田村であり、その開拓の起源は戦国期に遡るといえよう。

伝承によれば、当地の開拓を手がけたのは、近江(滋賀県)から移って来た人達であった。

そこで氏神も故郷の神である山王宮(日吉神社)をこの地に勧請した、という。

改築前の社殿には享保二年(1717)の棟札があり、その時に新築されて二百七十年間、この間には氏子による修築が加えられていた。

しかし、風雪に耐えた社殿も損みがひどくなり、昭和五十九年に浄財を募り、同年四月着工十月吉日の新築となった。

享保七年(1722)の新田村明細帳には、氏神山王宮権現・境内七畝歩と記されている。

さらに文政八年(1825)に本殿覆屋、天保五年(1834)には、拝殿及び本殿へのつなぎ廊下が建てられ、江戸期を通じて徐々に社容整備が進められて来た。

また、当時、村の行政区域は東西に分けられており、祭礼日には東西それぞれから二台のダンジリが引き廻され、宵宮には、にわか(芝居)なども行われていたことが記録されている。

従って、山王宮は新田村の成立・発展と共に歩んできた当地の証人である。なお、境内にある大神社及び社務所は昭和四十八年に、福島社・大嶋社(稲荷社)は昭和五十二年に老朽によりそれぞれ新築再建された。

昭和五十九年十月吉日建立

氏子中一同』


なるほど、けっこう新しいと思ったのですが、建て直されていたのですね。

それにしても、ここも本殿と拝殿は一段高くなっています。水害の影響なのでしょうか。寝屋川からは結構距離があるのですが水が溢れると一瞬で来るのですね。

この新田の名称はどの新田にあたるのでしょうか。


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