(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年11月26日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大東市太子田 聖徳太子堂


大東市太子田に鎮座する大神社(だいじんじゃ)の西側にある聖徳太子堂です。説明書きになければ見逃していたかもしれません。道路にそっている生垣は何となく民家の生垣と思えていました。


『太子田の大神社(だいじんじゃ)と聖徳太子堂

市史編集委員 川村知史

大神社(だいじんじゃ)は天照大神を祀り、毎年十月二十日を祭礼日としている。境内より一壇高い拝殿の中に彩色された本殿が安置されている。本殿は神明造りで、大きさは横約130cm、縦約115cmで、屋根は桧皮葺である。

本殿前の左右に安置されている木製の狛犬の台座には「文政十亥九月吉日(1827)」と刻まれているところから、本殿はこの時に新造されたものであろう。また現在の拝殿は昭和五十三年十月に発見された棟札により「文久三亥菊月(九月)」に建立されたことがはっきりした。配殿前の燈籠一対もこの年のものである。

神社の西側の聖徳太子堂には、聖徳太子十六歳の孝養像が安置されている。いい伝えによれば、この付近に善根寺という七堂伽藍の達ち並ぶ大きな寺があったが、何時の頃か廃絶してしまい、この太子堂のみが、往時のおもかげを今に伝えるものという。

古くからの太子信仰が今に継承されており、本市でも貴重なものである。太子田という地名もこの堂と深い関係がある。

大東市教育委員会』


それにしても、聖徳太子信仰はかなり日本の中でも根強いものがありますが、最近の歴史研究では「聖徳太子」の伝承や伝説の殆どが「でっちあげ」であるとの説が有力となっているようです。

仏教興隆の祖として崇められる聖徳太子ですが、そもそも「聖徳太子」という名は死んでから相当経って送られていて、「厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)」と呼ぶのが正しいようです。

十七条憲法等を制定したと言われていますが、内容が死後のものがそうとう入っているらしく年代が合わないという研究レポートもあるようです。

そもそも、童子の像や絵が多いのは「祟り神」の特徴らしく、祀らないと祟るという信仰が基になっていると説明する研究家もいます。

個人的にはお金に印刷されていた記憶しかありませんが、河内の物部守屋と戦ったとの歴史もありますし、注目の人物であることは間違いありません。


関連情報レポートリンク

【聖徳太子】