(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年11月21日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大東市深野北 菅原神社


大東市深野北に鎮座する菅原神社(すがはらじんじゃ)です。

旧地名は「深野北新田」ということですので、深野池(ふこうのいけ)を開拓した新田のようです。

門真市下馬伏の菅原神社(すがはらじんじゃ)から、大東市三箇の菅原神社(すがはらじんじゃ)(三箇菅原神社)と深野北の菅原神社(すがはらじんじゃ)菅原神社(すがはらじんじゃ)が三つも続きましたので頭の中は大混乱です。

菅原神社(すがはらじんじゃ)由緒

宝永元年(1704)大和川筋替えにより、深野池(ふこうのいけ)の池水が涸れて葦原となっていたところを、宝永二年より京都東本願寺が新田開発にのりだし御堂○○組織である二日講がこれに応じて入植し、九年余で開拓が完了、当地に難波別院(なんばべついん)の永世○○堂田となった。しかし程なく天王寺屋、そして鴻池家に売却されている。

宝永五年、徳川氏代官萬年長十○他三名の検地・享保四年(○○○○)の再検地による深野新田の石高は二千四百四十二石であった。明治十三年○○河内国深野北となり、字地に西の宮・角部濱・四軒屋・大畑○・生駒があった。

この菅原神社(すがはらじんじゃ)は旧地名では「南方字宮前ハの割」にあり文学の神菅道真公を御祭神としている、祭日は十月二十一日である。創建は江戸時代に中期宝永年間であるが年代は定かでない。当地に入植した祖先が北野天満宮(きたのてんまんぐう)の分神を拝受し、産土神として村人の○○○願い、現在地○○○に鎮座ましましたのである。本殿に○○○優美な○○○○○○江戸期の彫刻の特徴が見られる。現在の拝殿は、○の本殿が覆堂の役目を果たし○○○弘化四年(1747)起の萬記録帳によれば明治初期の修理そして、昭和七年(1932)の完全再建は明らかである。石鳥居には天保十五年○○○の、○○○。

なお、当神社は学問の道達成への御霊験を○○○○氏子○天神とあがめられるごとく、邪気を払い、家内安全、商売繁盛、就学成就、交通安全、そして家運隆盛をまねくと厚く信じられている。

昭和五十五年(庚申年)十月吉日 誌

菅原神社(すがはらじんじゃ)氏子総代』

板書きの墨字が消えていて判別できません。

でもなかなか面白く興味深い内容です。


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