(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年11月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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門真市稗島 堤根神社


門真市稗島(ひえじま)に鎮座する堤根神社(つつみねじんじゃ)です。

京阪電車の西三荘駅の北側の門真市宮野町にも同名で鎮座する堤根神社(つつみねじんじゃ)があるようです。門真市宮野町 史跡 茨田堤(まむたのつつみ)(まんだのつつみ)が隣接していますが今回は回っていません。

大阪府神社庁には、門真市内には10ヶ所の神社が登録されています。今回は8ヶ所回りました。

堤根神社(つつみねじんじゃ)

当、堤根神社(つつみねじんじゃ)の創立の年代を明らかにしないが、文禄三年(1594)の検地帳にひえ島、桑才二村の氏神として山王宮と呼ばれていたことが記されている。

祭神は素盞嗚神・大巳貴神の一座である。「山王」は大巳貴神を祭る神社が、「山王」と呼ばれる例にならったものであろう。

その後、年月を経て享保十年(1725)の検地帳では、「八剣大明神」と記録されている。これは天○○剣の神格速蛇建雄命を祭る神社が八剣神社(やつるぎじんじゃ)と称しているので、天○○剣は素盞嗚命は八岐大蛇を退治お際出現したものであるから祭神素盞嗚神につながる素盞嗚神を重視する時代に、ときの「山王」が大巳貴神を重視する時代のものであったように八剣大明神と呼ばれたものと思われる。

天文三年(1738)江戸時代の古文書では、祭神に新たに天照大神が加わって三座になっている。

それが明治十二年の北河内郡神社財産登録では、「両村神社(りょうそんじんじゃ)」と呼ばれて、祭神は天照大神一座となっている。

ひえ島、桑才二村の氏神社であるから、こう呼ばれたものと思われる。

明治四十一年、「堤根神社(つつみねじんじゃ)」と改称し村社としての指定を受けたが、当時、神社の合祀が広く各地で行われていた例に従って郷社、三島神社(みつしまじんじゃ)に同年八月合祀された。

それ以後、当地には氏神社を持たなかったのであるが、太平洋戦争終結後、ひえ島、桑才の住民は氏神社の復帰を希望し、遂にその熱意は昭和二十一年十月十六日をもって成就し、ここに旧来の姿をもって堤根神社は再び鎮座せられることとなり、昭和二十八年二月十日には、宗教法人としての登録を完了するに至ったのである。

さらにその後、平成六年(1994)に至って氏子崇敬者の願望により、神社本庁の承認を受け、かつ大阪府知事の認証を得て祭神を「天照坐皇大神」「素盞嗚命」「大巳貴神」の三座の神々を祭祀することになったのである。』


と大きな板に墨書きされています。

やはり生きた歴史ありますね。創建は大和川付け替え後であると思いますが、地元の住民の意志が大きく働いているのですね。


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