(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年11月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市黒谷 日蓮宗 光要山 本照寺


近鉄の信貴山口駅を降りて直ぐ南側に見える階段を登って行ったら突き当たりに「妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」という鳥居があり、その中に入って行ったら、「日蓮宗 光要山 本照寺」の境内に鎮座していました。

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」は別に紹介していますのでリンクをクリックしてご覧ください。


『本照寺復興之碑

永録元年 開基光要院日○上人にして創立する

寳永二年 正徳、寳歴年間に再度の火災に遇い第六世日治上人本堂を再建する。

寛政十二年 鎮守堂、鐘楼堂、薬○門の三ヵ所布屋久左衛門建立する。更に妙見堂、奥座敷の二ヵ所浅田可兵衛寄付建立する。

文化十三年 第十七世日○上人の代に衆檀同心協力して諸堂落成し昭和に及ぶ

昭和二十年 大東亜戦争戦災に依って鳥居に帰す

昭和四十三年 第二十九世日宗代に復興委員会を設立、この時都市計画に依って境内地の一部削減され遂に郊外へ移転建築の止むなきに至り當地に移す

昭和四十六年 本堂、妙見堂庫○等、再建落成し、十月三日日蓮大聖人降誕七百五十年慶讃記念と共に落成式を行う。

第十九世 宗鳳記』



『芳沢あやめ墓碑 本照寺境内

芳沢あやめは、五代を数える江戸時代の歌舞伎役者である。初代芳沢あやめは、歌舞伎の女形芸を大成した江戸時代、元禄期の代表的歌舞伎役者である。このたび、本照寺の境内から二代目、三代目、五代目の墓碑が発見された。向かって右側が二代目の、左側が三代目、五代目の墓碑である。

当寺は昭和四十三年以前は大阪市の谷町にあった寺院であり、芳沢あやめ家の菩提寺である。

江戸時代の歌舞伎役者の墓碑が確認された例はあまりない。今回確認された二基の墓碑は、近世の芸能史を考える上で、大変貴重なものである。

- 系図略 -

平成十五年 八尾市教育委員会』


よく分かりませんが、江戸時代の歌舞伎役者の「芳沢あやめ墓碑」もあるようです。このお寺は昭和四十三年以前は大阪市の谷町にあったということですが、墓碑の説明書きによると大変貴重なものだそうです。三男は初代中村富十郎で五代目の中村富十郎氏は存命なのでしょうか。

また、鳥居があって戸がついていたのですが、なんと古墳です。

信貴山のケーブルをはさんで「千塚(ちづか)」という地名があり、横穴式の古墳群がありますが、ここはきちんと石組の石室があります。信貴生駒山麓は古墳の宝庫です。

なかなか興味深いお寺ですが、谷町から引っ越して来たのですね。


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