(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年10月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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交野市私市 天田神社


交野市私市に鎮座する天田神社(あまたじんじゃ)、別称として「天田宮(あまたみや)」とも呼ばれているようです。

境内に入って思わず微笑んでしまいました。翌日に隣接する「交野市立第一幼稚園」の運動会があるようです。手書きの万国旗が拝殿からあちらこちらへと伸びていますし、境内には白線で様々な表示があります。

明日の天気(2008年10月3日)は良さそうなので楽しい運動会になるのでしょう。園児と思われる子供が数人下見にお母さんと来ていました。

天田神社(あまたじんじゃ)由緒

当社は私市、森両集の氏神社で住吉四神を祀る

古代この地方は地味肥え作物豊かな野であったので甘野といわれ、川は甘野川、田は甘田であった。この甘田に田の神を祀って建てた甘田の宮が当天田神社(あまたじんじゃ)の起源である。

交野地方は肩野物部氏の所領で、その先祖饒速日命は天の磐船に乗って河内の○が峰に天下った先代旧事本紀に記され、長く交野の祭神となっていた。その物部氏が西紀577年敏達天皇の皇后御色炊屋姫尊(後に推古天皇)にこの地を献じて、ここが私市部となったのであるが、平安時代に入り京都の宮廷貴族が遊猟に来ては盛んに和歌を詠み七夕伝説に因んで甘野川は天の川、甘田は天田と書くようになった。

その頃住吉信仰が流行し、一方磐船の神も海に関係があると考えられ、さらに物部氏の衰退もあって、交野の神社の祭神は饒速日命から海神であり、和歌の神でもある住吉神に替わって、今日に至っている。

境内から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土し、また近くに物部氏のものと推定される巨大なる古墳群が発見されるなど当地の歴史の古さを偲ばせるものがある。』

この神社は、JR学研都市線のJR河内磐船駅から乗り換え駅である京阪の河内森駅の北側にあり、昔は山に入ってくろんど池にキャンプに出かけていましたが、私は既に隊長になっており、車で移動するのが殆どであったので、歩いて来た記憶はありません。

しかし、境内地の広さはかなりのもので物部氏の隆盛の一端が垣間見えると思います。

河内平野を押さえていた物部氏は、信貴生駒山麓から河内平野に向かって領地を拡大していたのでしょうか。すごい勢力ですね。

なんとなく天皇よりも力を持っていたのではないかと考えてしまいます。

天田神社(あまたじんじゃ)の境内には川東神社(かわひがしじんじゃ)が鎮座しています。


関連情報レポートリンク

【交野市 神社一覧】