(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年10月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市日下町 丹波神社


東大阪市日下町に鎮座する丹波神社(たんばじんじゃ)です。

近鉄奈良線石切駅の奈良側の出口から出て線路沿いに北へ向かうと、自転車置き場が並んでおり道なりに下っていくと大きな溜池が見えます。下部の池は「御所ヶ池」と言い曽我丹波守が新しく作った用水池ということです。


丹波神社(たんばじんじゃ)と曽我丹波守

この神社は、江戸時代に大阪西町奉行で日下村の領主となり、この地で没した曽我丹波守古祐をまつっています。

歴史上実在した人の霊位を神として奉斎したもので、丹波守の遺徳を偲ぶ村人たちが25回忌の時墓を立て、後年その墓碑の上に社殿が建てられ神社となりました。

曽我丹波守は寛永十一年(1634)に大坂西町奉行に任じられ、河内国河内郡に三千石を支配することになり、日下村もその中に含まれていました。

在職中は村人に有利な検地を行い、また干害に悩む村のために用水池の築造や用水樋の付替え、堤の修理などの土木工事を御入用普請(領主負担)として行いました。

この神社の南にある御所ケ池も丹波守が築造したと伝えています。

奉行の職を退いた後は、隠居して日下村の河澄家に住み万治元年(1658)に没しました。西町奉行としての一時的な領地であったにもかかわらず、こうした善政により村人に感謝され、現在もこの地でまつられています。

平成十八年三月

東大阪市』


それにしても、生々しい歴史ですね。祭神が実在の人物であったという点では「菅原道真公」と同じようなものなのでしょうが、もっと生々しい歴史を感じさせてくれます。面白いですね。

丁度、布団太鼓台の倉庫を開けにきていたので見せて貰いました。この辺の山麓の太鼓台は枚岡神社(ひらおかじんじゃ)に宮入すると思っていたのですが石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)だそうです。

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は相当遠いからでしょうか。

本殿の裏に「力石(ちからいし)」と彫り込んだ石が転がっています。

もう少し若ければ持ち上げてみようとするのですが、やめときます。

エライ目に合いたくありません。

前の道を下ると「日下貝塚(くさかかいづか)」で、少し登って山側の東側の道を下ると日下神社(くさかじんじゃ)から大龍寺に行きます。


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