(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年10月10日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市古箕輪 古箕輪八幡宮


大阪府東大阪市古箕輪に鎮座する「古箕輪八幡宮(こみのわはちまんぐう)で」す。箕輪八幡神社(みのわはちまんぐう)と混同してしまいました。

東大阪市の「東大阪市文化財ガイドブック」では「古箕輪八幡宮(こみのわはちまんぐう)」となっています。

この神社は、鴻池新田の水路である五箇井路(ごかいじ)六郷井路(ろくごういじ)(六郷川)の最上流部で最も東の位置になります。水路の交差点(藤五郎樋)のすぐ側にあり、旧河内街道、五箇井路(ごかいじ)沿いに位置しています。

古箕輪八幡宮(こみのわはちまんぐう)

もと箕輪村に含まれる古箕輪は、新開池の南東に位置し、大和川付け替え以前は池の藻草を刈り、魚を採って生活していた漁村でした。新田開発後は農村となりましたが、南方の村々の悪水で例年作付けに水難を受けるため、踏車を使って悪水を排水し、また天水場(てんすいば)であるため日照りの時には干害にみまわれたといわれています。

氏神である八幡宮は、創建は不明ですが、本殿は一間社流造柿葺で江戸時代中期の建築とみられ、また境内の鳥居に寛保元年(1741)の銘があり、拝殿前の燈篭に明和元年(1764)の銘があることから、新田が開発された後に、神社が整備されたことが解ります。

拝殿には、幕末から明治初めに奉納された元寇、神功皇后朝鮮出兵図、江戸時代の風俗図、天皇に将軍・御三家等が供をした加茂明神参詣図などの明彩な絵馬が残されています。

また、正面左にある燈篭は、天保二年(1831)銘の「おかげ燈篭」です。竿に「おかげ」と刻むこの燈篭は、江戸時代に伊勢参宮が流行し、ほぼ六十年毎に「おかげ参り」と呼ばれる集団参宮が行われた際に、村人達が神恩を感謝して奉納したものです。東大阪市内には合計18基の「おかげ燈篭」が知られていますが、文政十三年/天保二年(1831)のものが十三基で最も多く、この頃伊勢参宮が非常に盛んであたっことがわかります。

平成十六年十月 東大阪市』

この流れは五箇井路(ごかいじ)の流れの最初の部分です。ここから鴻池新田会所が始まります。水路の交差点(藤五郎樋)で分流しています。

何よりも、広大な新田開発の最も南東の部分であり、そこに鎮座するにはかなりの重要な地点であったことは間違いないと思います。南へいくと六郷井路(ろくごういじ)(六郷川)の最初の部分になっており、大和川の付け替えで水不足となった河内平野の水の重要地点であったことは間違いないようです。


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