(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年10月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市東石切町 石切劔箭神社


東大阪市東石切町に鎮座する石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)です。

この神社の参道は大変賑やかです。これだけ賑やかなのは兵庫県宝塚市の「真言三宝宗 清荒神(きよしこうじん)清澄寺(せいちょうじ)」くらいしか知りません。

「デンボの神さん」として崇敬を集めているようです。雨の火にもお百度を踏んでいる人がいます。参道には様々な店が軒を連ねて賑やかな事極まりなしです。

神社には格式があるそうですが、信仰とは格式ではなく、如何に多くの人々が参集するかということの方が問題であるとするならば、石切劔箭神社は東大阪では最高の位置にあるのではないでしょうか。

『由緒

本社の御鎮座は、いまから700年前、足利時代の末に兵火にかかり、社殿および宝庫が灰と化したため明瞭ではありませんが、「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」(約1080年前)の中に既に記載されており、「三大実録」という書物には貞観七年(約1040年前)九月に、本社の社格が正六位から従五位に昇格されたことが記されています。また、天文五年(約460年前)に記述されたもので、木積氏の祖先藤原行春大人の「遺書伝来記」には、神武天皇紀元二年(約2660有余年前)宮山に「上之社」が建てられ、崇神(すじん)天皇の御代に「下之社(本社)」に可美真手命(うましまでのみこと)が祀られたとあります。

本社の祭祀は代々木積家が司ってきましたが、「木積」という姓は本来「穂積」といい、饒速日尊(にぎはやひのみこと)の第七代目に当たる伊香色雄命(いかしおのみこと)がこの穂積姓を初めて名乗られ、それ以来物部氏の一統として一氏族をつくり、大和を中心として八方にその部族が増大していきました。その祖先である饒速日尊、可美真手命(うましまでのみこと)を御祭神と仰ぎ、ここ「石切」の地に御霊代を奉祀し、本社鎮座となったのであります。木積家は代々神職として朝夕、皇室の安泰、国家の興隆・崇敬者の無事繁栄を御祈祷し、御加護をお願いして参りました。』

『尊称

本社は石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)と申します。これは、どんな強固な岩でも何の苦もなく切れ刺し貫くような、立派な剣と箭(矢)を御祭神の御神体として御祀りし、その御利益も非常に大きい御社であるという意味であります。なお、この尊称のほかにこの地方では「木積宮(こずみのみや)」、または「穂積堂(ほづみどう)」とも申しております。』

宮司の木積一仁氏は2008年8月15日にお亡くなりなりになられていて、9月29日に神社葬が行われましたが、木積一仁氏はボーイスカウト東阪地区の初期の役員であり私も列席しましたが、女優の朝丘雪路さんの弔文はなかなかのものでした。

不思議だったのですが、私たちは9月15日にスカウトの子供たちが石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)から枚岡神社(ひらおかじんじゃ)を経て瓢箪山稲荷神社(ひょうたんやまいなりじんじゃ)までハイキングするプログラムを実施したのですが、お亡くなりになったことはふせられていて知りませんでしたが、子供たちが参拝する機会を下さったものだと感じています。

不思議だったのは、絵馬殿に夕張炭鉱の石炭が奉納されています。かなりの巨大さなので一度見ておかれるのも良いと思います。(2012年には無くなっていました。)


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