(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年10月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市中央区玉造 玉造稲荷神社(玉造神社)


大阪市中央区玉造に鎮座する玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)公式HP〕です。別称は玉造神社(たまつくりじんじゃ)と云われています。上町大地の北東部にあり坂の途中にあります。

坂を登っていくと、カトリック大阪司教区のマリア大聖堂があります。

玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)

古代勾玉作りの難波玉造部が居住していた地で、現在の「玉造」の地名もこれに由来致します。

当神社の創祀は、垂仁天皇十八年(B.C.12)にさかのぼるといわれる古社であります。

聖徳太子が物部氏と仏教の受容問題で争われた時、この玉作岡に陣をひき当神社に戦勝を祈願し、戦勝後この地に観音堂を建立されたと云われております。

豊臣時代には大阪城の守護神として豊臣家の崇敬は特に厚く、境内の石鳥居も慶長八年(1603)に秀頼公より寄進されたものであります。

10月の祝日には境内で太閣さんの時代の「だんご茶会」が盛大に行われます。

江戸時代の伊勢参宮本街道との深いつながりも「暗越・奈良街道」の要地にあったためであります。』


利休井(りきゅうい)

豊臣・徳川時代に大阪城の鎮守神として篤い崇敬を受けた当神社は、その繋がりが深く。付近には○○・前田利家の屋敷を始め、茶匠・千利休も屋敷を構えていました。

利休屋敷には利休井(りきゅうい)があったと伝えられ、古くより「玉造清水」と呼ばれる良質の水源を使い、この上町台地東端の良き自然環境にも恵まれ、茶の湯文化を育んで参りました。

当神社付近には他にも、門人の細川越中守忠興(○○流)の「越中井(えっちゅうい)」や、もう一人の門人であった吉田織部(織部流)の「山吹井」が存在したと「摂津名所図○大成」などに記されております。

さらに、江戸時代中頃には神社境内北側「現・玉造小学校」で酒造りが行われており、酒造り用の竈類も近年発掘されました。灘・伊丹・伏見と共に、ここでも酒造りが栄えていたことが文献にも見受けられます。

この井戸は平成十八年八月にNPO法人「大阪甲冑隊」らによって再興されました。』


私はマリア大聖堂の往復にこの玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)の前の坂道を数限りなく通っていたのですが、中に入ったのは初めてです。秀頼公の寄進した鳥居は上部を地面から1mほど出して埋まっています。また「秀頼公胞衣塚大明神」もあり、この地が大阪城三の丸であったと記されています。

「玉造は上方漫才のふる里」という碑があり戦後の上方笑いの父、秋田實氏生誕の地であるともかかれています。

境内には、「難波・玉造資料館」もあります。

お伊勢参りの起点だったようで、「是より神宮まで百七十○○」と彫られた石碑も立っています。南東へ500mほどの所に暗越奈良街道や十三街道の起点とされる二軒茶屋の碑もあります。


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