(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年10月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市東成区中道 八阪神社


大阪市東成区中道に鎮座する八阪神社(やさかじんじゃ)です。

この日は秋祭りの準備があったのでしょうか。大勢の人々が集まってだんじりの点検や鐘と太鼓の練習をしていました。

ちょっと時代遅れの髪を染めた男の子が日にちを教えてくれましたが、私には白髪を黒く染めている人と代わりがないのですが、「もうはやらんで」と思いました。

『御由緒、当神社は東成郡中道村字法性寺に寛仁元年(1017)法性寺大道関白藤原道長が此の地に別邸を造り牛頭天王(ごずてんのう)白山権現を鎮守として奉祀せしに始る。仁案元年里人の尊崇深く社殿を再興し天正十二年現在地に遷座し奉り牛頭天王(ごずてんのう)白山権現社と称す。明治五年村社に列し八阪神社と改む。

明治四十二年境内より暗越奈良街道迄参詣道を開拓し、社殿を南向に改む。当時境内には年を経た椋榎等の樹木繁茂せり。大正六年玉垣を新設すると共に暗越奈良街道に面してあった鳥居を現在の処に移しその後に社号表石を建てる。

現社殿は大正十一年起工大正十三年六月五日竣工す。

追○此の石は暗越奈良街道の起点玉造二軒茶屋の石橋として言伝によると大阪城より持参宝永八年に猫間川に架けられ古くは飛鳥の都へ通ずる街道の入口として又お伊勢参りの見送人が此の地に於て無事を祈って別れた由緒深い石橋で大正十三年撤去に際し石材六枚を当社に寄贈せられ狛犬燈篭の敷石として用う。三百余年の歴史と共に歩敷石として歩んできた此の石を回顧し永遠の労を後世に伝えんが為其の一枚を茲に記念の碑として建立す。

八坂神社(やさかじんじゃ)宮司 相良芳三謹白』

立派な石だと思っていたのですが、川をはさんだ場所に鎮座する八王子神社(はちおうじじんじゃ)にも橋の石に由緒書きを彫ってありました。

八坂神社(やさかじんじゃ)

御神徳

素盞嗚尊(すさのをのみこと)は伊勢の皇大神宮にお祀りしてある天照大神弟様であの有名な八岐の大蛇を退治なさった神様です。

昔から疫病・災難・悪魔を鎮める御霊徳を持たれ「厄除の神」として信仰され、又、始めて新羅国との交通を始められたので「交通の神・外交の神」としても信仰されています。

菊理姫命(くくりひめのみこと)は伊邪那岐尊・伊邪那美尊が黄泉国(よみのくに)から帰りに夫婦喧嘩をなされた時、上手に仲裁されました。其のおかげで二神は仲直りをされ一緒に高天原にお帰りになったと云われています。

「くくりひめ」と申す様に離れたものを合わせると云う御霊徳を持たれ「縁結びの神」として信仰されています。

宮司謹白

平成十年壱月吉日』

近畿日本鉄道の「てくてくマップ」(伊勢参道本街道1)には、この神社の風変わりな鳥居が紹介されています。

暗越奈良街道は、この辺りのメインストリートだったのでしょうか。重要な街道であったことは間違いないようです。


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