(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

八尾市東太子 史跡 物部守屋墓


八尾市を走る国道25号線の太子堂交差点の北側に「物部守屋(もののべもりや)墓」があります。私は何回もこの道は通っています。しかし、まったく気付くことはありませんでした。

情けないことに、結婚するまですんでいた家から6km弱、現在の居住地から8km弱と近く、この地域は通過する所で用事のある場所ではありませんでした。

なんとなく名前は何回も聞いたことのある「物部守屋(もののべもりや)」なのですが、恥ずかしながら、河内の大連(有力豪族)であり、大きな権力を有していたことなんか記憶にもありません。

本当に学校できちんと歴史を習ったのか心配になってしまいました。

奈良飛鳥の橘寺の長男は、叔父さん宅に預けられていたので小学校は同級生であったのですが、遊びに夢中で歴史なんて何の興味もありませんでした。

どうやら「物部守屋(もののべもりや)」は、蕃神(異国の神)の位置づけであった仏教を排斥したのですね。その為に廐戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子(そがのうまこ)らに滅ぼされたのですね。

あのね、日教組がどうのこうの言って就任五日で辞任した大臣がいましたが、もうちょっと教え方があったような気がします。大阪の河内のど真ん中で歴史があったことを教えないで何を教えてもらったのでしょうか。「いい国作ろう鎌倉幕府」なんて覚えても何の意味もありません。

それにしても、河内平野の神社には歴史が詰まっているようです。ここから南へすぐの所に北木の本に鎮座する樟本神社(くすもとじんじゃ)があり「守屋首洗池」がありますし、西へ行くと「弓代塚」や「鏑矢塚」があり「大聖将軍寺」もあります。

北へ行くと穴太神社(あのうじんじゃ)があり、廐戸皇子(聖徳太子)の母親の出生地とされています。全てここから2km程度の範囲に存在します。「稲城(いなき)址」は南木の本に鎮座する樟本神社(くすもとじんじゃ)から少し南へ言ったところの光蓮寺(こうれんじ)門前に碑が建っています。

まさに歴史のど真ん中の地であると思っても間違いではありません。母が弓削氏出身ということは、東弓削の弓削神社(ゆげじんじゃ)と弓削の弓削神社(ゆげじんじゃ)も関係してきますね。

なるほどの歴史学習です。