(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月28日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市平野区加美南 新家天満宮


大阪市平野区加美南に鎮座する新家天満宮(しんけてんまんぐう)です。

平野側沿いに進んで行くと玉垣が見えて、ちょっと大きめの木々が茂っています。ここが神社かと思い堤防から家並みに降りて暫く戻ったのですが、神社が発見できません。地形図では道の表記がありません。なんとも、毎回思うのですが、昔に比較すると今の地形図はあまり頼りにならないようです。

新家天満宮(しんけてんまんぐう)

当社の創建年月は不詳であるが、所伝によれば、この鎮座地は、御祭神の菅原道真公が左大臣藤原時平の陰謀、讒言によって昌泰四年(901)、16歳の醍醐天皇により右大臣、従二位の官位から大宰権帥に左遷され(道真公没後二十年目の延喜二十三年(923)、同じ醍醐天皇により、右大臣に復され背負う正二位を贈られた。)

筑前(福岡県北西部)の太宰府に行かれる折、菅原家歴代の菩提寺道明寺(どうみょうじ)の住職である叔母の覚寿尼に別れの挨拶に立ち寄られた帰りに平野川を船で下り休憩された所で後年京都の北野天満宮(きたのてんまんぐう)の御分霊を勧請した場所とのことで、その社は「川べりの天神」と呼ばれて崇敬されていた。

時が移り、明治五年(1872)「村社」に列せられ、明治三十九年(1906)公布の政令「神社合祀令」に従い、同四十一年、加美村大字鞍作の村社菅原神社(すがわらじんじゃ)に合祀された。社殿はその後ほどなく自然倒壊したが、大木や石の大鳥居、灯篭等の残る境内地は保存されていた。

戦後の昭和二十四年(1949)四月に、新しく造営された現社殿へ菅原神社(すがわらじんじゃ)から御祭神にお遷りいただき、当時の所在地名、加美村新家町に因んで宗教法人「新家天満宮(しんけてんまんぐう)」という社名で再建された。

末社 稲荷神社(御神号・橘大明神)』

菅原道真公の道明寺への逸話は、大阪市城東区諏訪の諏訪神社(すわじんじゃ)にも記されていて、「菅公腰掛石」という石が祀られていました。『この腰掛石に触れると学業成就の願いが叶うと伝えられている。』ということなので、試験を受けられる前には、諏訪神社にもお詣りしてみてはいかがでしょうか。

諏訪神社(すわじんじゃ)へは北へ約8kmあります。今年開通したJRおおさか東線で新加美駅から放出駅まで利用するとそんなに遠くないのでどうでしょうか。

「三鞍用水樋門顕彰之碑」が保存されています。平野川から用水を引き込んでいた水門なのでしょう。そういえば地下鉄の谷町線の平野駅ができて間もなく用事があって、階段を上がって地上に出たときに周りが殆ど田畑で驚いた記憶があります。ここが大阪市内と思いました。


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