(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月26日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市北木の本 樟本神社


大阪府八尾市北木の本に鎮座する樟本神社(くすもとじんじゃ)です。これでやっと木の本の樟本神社(くすもとじんじゃ)と南木の本の樟本神社(くすもとじんじゃ)の樟本神社三座を廻り終えました。

当初は、写真を整理しながら「あれあれ」と悩むばかりでした。

私の頭は大混乱でしたが、やっと八尾市木の本という地域の土地勘ができたような気がします。今までは車で通りすぎるだけでしたので自分の位置も中央環状線の東側というだけで北へいけば、南へいけば何処にというような情報を得ることができませんでした。

『樟本神社

当神社は延喜七年(907)の延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に樟本神社三座の一つとして記載されている式内社(しきないしゃ)である。

大和時代、用明天皇の御代、この付近一帯は物部氏の住地であった。

物部守屋が本拠地である稲城(いなき)の守護神として崇めていた布都大神を布都大明神として奉祀されたものと伝えられる。

紀・記・古伝によると悪疫邪霊を祓い、病気平穏、又、鍬、○を司る農耕・武の神として広く村民の崇敬を受け現在に至っている。

八尾菊花ライオンズクラブ』


『略史

当神社は日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平穏・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。

主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)の御神体は、神代の昔武○雷神(たけみかづちのかみ)が帯びておられた神剣「○霊(ふつのみたま)」で、「平国之剣(くにむけのつるぎま)」とも申し上げます。

紀記によれば、神武天皇御東征の折に天降られ、邪神を破り国土を平定された御偉功により、天皇御即位の後、勅により物部氏の遠祖宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中に奉祀されました。この宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が御父饒速日命(にぎはやひのみこと)から継承された天璽十種瑞宝((あまつしるとくさのみずのたから)布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)の御神体」も一緒に奉祀されたといいます。その後、崇神(すじん)天皇七年に至り、勅命によって、物部氏の祖伊香色雄命が○霊・天璽十種瑞宝((あまつしるとくさのみずのたから)を石上布留高庭にお遷しして奉祀したのが石上神宮の創祀で、以後物部氏が代々当神宮の祭祀を預かることになりました。』


- 略 -(後日書き足します。)

鳥居の脇に藻で覆われた小さな池があり、「守屋首洗池」の石碑が立っています。


『守屋首洗池

大和時代(587)蘇我馬子は天皇家と結びついき聖徳太子らと共に阿都の地で物部守屋((もののべもりや)を攻めてきたとき、聖徳太子が迹見赤屋に鏑矢をもって、物部守屋((もののべもりや)を射させたところ、その矢が物部守屋の胸にあたり、秦川勝((はた の かわかつ)がその首をとって、この池で洗って聖徳太子の見参に入れたといわれる、俗に「守屋首洗池」という。

この近辺には、鏑矢をもって、射させたところに「弓代塚」があり、物部守屋の胸に当たり、鏑矢が落ちたところに「鏑矢塚」がある。』


飲食店の看板の影に「鏑矢塚が立っておりこの逸話と説明を知らなかったので一所懸命史跡を捜したのが大笑いです。「弓代塚」は見逃していますので再訪する必要がありそうです。

P.S.

弓代塚」は、発見するのが難しいので、事前にきちんと場所を確認しておきましょう。


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