(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月19日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市久宝寺 許麻神社


大阪府八尾市久宝寺の寺内町に鎮座する許麻神社(こまじんじゃ)です。


許麻神社(こまじんじゃ)

式内社(しきないしゃ)で、もと牛頭天王(ごずてんのう)と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸藩の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。

境内の手荒いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。

この寺は、聖徳太子の建立で戦国時代に兵火に逢って消失した。

その後観音院のみ復興したが、明治初年廃寺になった。本尊十一面観音はいま念佛寺(ねんぶつじ)にある。

神社の西方に、むかし弥生式土器を埋蔵したベントウ山があった。

八尾市教育委員会』


許麻神社(こまじんじゃ)案内記』 許麻神社(こまじんじゃ)パンフレットでは、以下のように記されています。


許麻神社(こまじんじゃ)

許麻神社(こまじんじゃ)の創立は不詳であるが、「延喜式」神名帳には小社に列せられており、今から1100年以前より存在していた由緒ある神社で、江戸時代には「久宝寺の牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれていた。

許麻は高麗(こうらい)に通じ、この地は古くは「巨麻荘」または「許麻荘」といい、高麗(こうらい)からの渡来民族が多く住み着いていた。彼らが祖霊として祭祀したのが、後に神社として祀られ、社名に「コマ」が残ったと思われる。

また、かっては、この神社と同じ敷地内に「久宝寺観音院(かんのんいん)」が宮寺としてあり、この寺の創建は聖徳太子が建立された「久宝寺(きゅうほうじ)」に遡るが、戦国時代、松永弾正久秀の兵火に罹り、灰燼と化した。

幸い、聖徳太子自作と伝わる本尊の11面観音は難を逃れ伊賀の国に疎開したが、紆余曲折を経て、現在は同じ久宝寺町にある、念仏寺(ねんぶつじ)に安置されている。

久宝寺観音院(かんのんいん)は寛文7年(1677)再興されたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。

社殿の建立は天正10年(1582)に社殿改建の記録が残っているとのことで、その後幾度となく改建、修復がされたが、近年では昭和44年(1969)不審火で焼失している。

現在の社殿は2年後の昭和46年(1971)に鉄筋構造で再興されている。

久宝寺が寛文7年(1667)に再興された時の「鐘楼(しょうろう)」は神社の「手水舎(ちょうずしゃ)」となって保存されている。』


なんとも歴史の交差点のような場所なのですね。なかなか難しいのは歴史をつなぎ合わせた時に合致するかどうかです。但し、残っている資料は、毎回書いていますが、勝ち組の物ばかりというのが歴史の事実でしょう。


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