(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市南本町 矢作神社


旧八尾街道を南へ柏原方面へ行くと大阪府八尾市南本町に鎮座する矢作神社(やはぎじんじゃ)です。別名、「べっくの宮さん」と呼ばれています。

旧八尾街道からの参道はかなり広くとられており、そうとうな由緒ある神社であると思われます。

そういえば八尾神社(やおじんじゃ)の由緒書きにも矢作なんて文字がありました。

矢作神社(やはぎじんじゃ)由来

当社の創建は不詳であるが、主祭神経津主命(ふつぬしのみこと)の後喬である矢作連の一族は、早く此の地に住して朝命を受け矢作り業に従事した。当時、この地方は豪族物部氏の繁栄に伴い祖先を氏神として経津主命を祭祀したものと伝えられている。

付近には物部氏と関連した地名遺跡を多く残している。

醍醐天皇延長五年(927)に編纂した延喜式の巻の神名帳、日本国中の天神地祇の国別郡別一覧表に河内国若江郡に記載されていて延喜式内社(えんぎしきないしゃ)として古くより名高い神社であった。

河内国神名帳には、従三位矢作神社とある。

平安時代この地は岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)が荘園として領しており、後三条天皇延久元年(1069)には、荘園整理令が出て、延久四年(1073)の岩清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)領荘園に対する文書が残っており、承認された荘園の中に掃部別宮とある。

この頃より八幡宮(品陀院別気命)を祀し、別宮八幡宮とも言われて来た。

長久二年(1042)の後朱雀天皇の論旨には河内国若江郡八尾八幡掃部別宮とある。八尾の地名が出る一番古い記録と云ふ。』

『弁慶の七ツ石

境内地内に大石七箇ありて、俗に「弁慶の七ツ石」と称せられる。

この石はその一つで当社が旧社殿の基礎石と伝えられる。』

となっていますが、この「弁慶の七ツ石」このように木札が立っているのは三個所だけでした。

いったいどこにあるのかと隈なく探しましたが発見できませんでした。

うむ、いつもの「七つ道具」や「三大がっかり」と同じで数字には数の意味がないのかもしれません根。


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