(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年09月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市上之島町南 御野県主神社


八尾市上之島町南に鎮座する御野県主神社(みのあがたぬしじんじゃ)は、玉串川の東側(旧大和川)にある大きな神社です。

御野県主神社(みのあがたぬしじんじゃ)の石版の記載です。

『式内 御野縣主神社(みのあがたぬしのじんじゃ)

御祭神

角凝魂命(つのこりむすびのみこと)

天ノ湯川田奈命(あまのゆかわたなのみこと)

御祭神

古代の河内で三野縣を支配した豪族三野縣主(みのあがたぬし)が、祖神として斎き祭った神社である。

三野縣は、旧英田村 三野郷村の一帯で、現在の東大阪市 松原 水走 吉田 花園 玉串から八尾市 福万寺 上之島におよぶ広大な一帯にあたる。

天武天皇十三年(685)、ruby>三野縣主(みのあがたぬし)は○○の姓(かばね)を賜り、その後 美努連(みぬのむらじ)として村外交渉○学問の分野でおおいに活躍した。

延喜式(えんぎしき)神名帳(じんみょうちょう)には、若江郡に三野縣主神社(みのあがたぬしのじんじゃ)二座として載る。江戸時代には河内郡上之島村の氏神として崇敬された。

明治五年(1872)村社に列せられる。同四十二年(1909)六月 神餞幣帛料供進社指定される。

境内地

旧大和川(玉串川)の堤防が神社の森として残る。古期器蒼として、八尾市の保全樹林に指定されている。

境内地の南に接して三野縣池がある。』


しかし、この神社興味深いのですが、境内地も相当広く大きな池と堤防跡の石積みがある森があります。但し、相当数の蚊に教われました。夏場の短パンにTシャツでは入ってはだめです。

八尾市の由緒書きの石版です。内容は重複するかもしれませんが記録しておきます。


『式内 御野県主神社(みのあがたぬしのじんじゃ)

御野県主(みのあがたぬし)一族の祖神 角凝魂命、天湯川田奈命を祀る延喜式内社(えんぎしきないしゃ)である。

三野郷と呼ばれてきたこの地一帯は、古代天皇家の直轄地と言われる三野県のおかれていた土地である。三野県主(みのあがたぬし)氏はこの県の管掌氏族で、河内国はもちろん朝廷においても有力な氏族の一つであった。

中世この地は玉櫛庄となり、正和三年(1314)に七条院領美濃勅旨田、また永禄八年(1565)には、美濃勅旨本役六百文か八尾市常光寺に寄進された記録がある。

八尾市教育委員会』


いつも思うのですが微妙に違いますね。歴史とはこのように少しずつ変化してしまうのですね。歴史文書に加除修正を加えられれば年を経れば解らなくなります。社殿改築記念碑があります。


『御野縣主神社 社殿改築記念碑

旧社殿は、百数十年の風雨にいためられて、当初の荘重な姿をうかがいえぬまでに至り、氏子一同、新たに社殿を奉じ、あわせて境内の整備をしたてまつることを発願し、もって敬神の念を新たにせんとした。

  社殿の改修は、御野縣主神社の所有地である日吉神社跡地、八尾市上之島町南三丁目八十九番地の一 八十九坪二十三合の譲渡金と氏子有志の寄進によりなる。

  昔年、日吉神社は、村民有志により三壬講を組織し、ひろく崇敬されていた御野縣主神社に合祀されてからも、社地は三壬講中の維持管理のもとにあったが、講中の芳志により、御野縣主神社の所有となった。

    三壬講中 略

  御野縣主神社末社の改修は氏子有志の寄進によりなる。

  手水社の改築は、河内大師 中井操空氏の寄進によりなる

  境内並びに御野縣池、駐車場の整備及び社務所の改築は氏子有志の寄進によりなる

  右竣工をみるに至り、本日正遷座奉祝祭を厳粛に執り行う。

神には万民農楽 除災招福 氏子安全 五役豊就学成就 所願成就の産土神として、鎮座ましまし、氏子一同、崇敬の念をいや増じにし変わりなき御守護を賜らんことを祈願し碑文とする。

昭和六十三年十月十三日

氏子一同』


古事記に出てくる名称で私が最も興味深く印象深い名称です。