(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月10日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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八尾市楽音寺 熊野神社・西ノ山古墳


八尾市楽音寺に鎮座する熊野神社(くまのじんじゃ)です。

立派な石板に由緒書きがあります。


熊野神社(くまのじんじゃ)分神鎮座記念碑

昔、楽音寺熊野神社(くまのじんじゃ)は、西の山の東金比羅屋敷にありましたが、明治初期に、貴島康彦先祖の土地である当地移されたが、その後倒壊し、御神体は、神立にある郷社玉祖神社(たまおやじんじゃ)に預けられました。

昭和三十一年七月十五日、当神社再建にともない、預けた御神体を持ち帰ったが、御神体名については宮司並びに村民に尋ねたが誰一人として知る人がおらず、故に村の三役によって熊野本宮大社〔公式HP〕へ参り、宮司様とお会いして由来を聞いた。それによると「京都より摂津泉を過ぎ当国に入り田辺より近露を経て当地に至る沿道に諸王子社あり、古くは、哀微して僅かに地名のみそのあとを止めている状況であります。

全国に分布する熊野神社(くまのじんじゃ)の分社は5千社あって大阪府下には六十余社が分神としてまつられている」とのことであり、当神社もその一つであることが判明したので、昭和五十七年七月十五日、新たに分神として迎え、之を記念し建立したものである。


※文中の「御神体」は石板では「御身体」となっていますが、修正しています。


西ノ山古墳(にしのやまこふん)

古墳時代前期の南面する前方後円墳である。

もと楽音寺の村落がこの地の東の山麓にあった当時に古墳のある丘が「西ノ山」と呼ばれていたところがら、そのまま古墳名として残っている。

明治十四年(1882)開墾中に後円部から石棺が発見され、その中から人骨、勾玉、刀剣などが出土した。

いま前方部は耕されて植木畑となっている。

南の谷をへだてて同じく前期の前方後円墳の花岡山古墳(はなおかやまこふん)があった。

八尾市教育委員会』


枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の南の東大阪市郷土博物館から柏原市の高井田古墳群まで古墳がすごくたくさんあります。ここのすぐ南には「千塚(ちづか)」という地名がありそこはまたすごい数の横穴が見られます。農機具や肥料などが積み上げられているものもあります。


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