(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市六万寺町 史跡 二本松古墳


往生院(おうじょういん)が予約しなければ中も見られないということで坂を下って、仕方がないので上六万寺の神社マーク(梶無神社(かじなしじんじゃ))に向かいました。

道は広いのですが、また登って行くので、下る道はないかと捜していましたら、どうやら「東大阪老人ホーム」の南側に小路があることを発見しました。幅員2m程の広さなのですが結構急でどんどん下っていきます。これ以上下るとまた登らないかんな覚悟したのですが、小路の終点の南側の雰囲気が何やらこんもりと樹木が茂っているという怪しい雰囲気でした。

角には、二本松古墳(にほんまつこふん)と書いた説明標がたっていましたのでのぞいてみることにしました。


『史跡 二本松古墳(にほんまつこふん)

生駒山麓一帯には、今から約1400年前にあたる6世紀後半から7世紀の初めにかけた方墳時代の後期に、山麓で力を持っていた中小豪族達のお墓である「方墳」が群集して造られました。

方墳は、南側に入り口を持つ横穴式石室を内部主体としており、巨大な自然石を積み上げて造られています。

石室内は、通路としての「羨道」と、奥の墓室である「玄室」に分かれて、死者は木棺や石棺に納められて「玄室」に葬られますが、多くの古墳が通路までの空間に、家族の人たちの追葬を行っています。

東大阪市の山麓には、山畑古墳群・花草山古墳群・五里山古墳群(上四条町)など、たくさんの群集墳が分布しています。

二本松古墳(にほんまつこふん)は、六万寺町の山麓に営まれた小群集墳(六万寺古墳群)の一墓で、北側の老人ホーム内に高塚古墳(たかつかこふん)、西側の墓地内ほかに数基の古墳が知られます。

二本松古墳(にほんまつこふん)は、一辺約20m、高さ4.5mの方形墳で、内部の横穴式石室は、全長15.8m(玄室長4.5m、幅2.2m、高さ3.0m、羨道11.3m、幅1.9m)を誇り、山畑2号墳や愛宕塚古墳(あたごづかこふん)(八尾市)等に次ぐ巨石古墳です。

昭和39年に旧枚岡市教育委員会が調査した結果、盗掘されており、凝灰岩製の石棺破片多数や、各種の須恵器(すえき)土師器(はじき)などの副葬品が出土したほか、中世の各種土器類・銭貨が出土しています。また、奥壁にそって出土した凝灰岩の石棺材は、格狭間形のくり込みが施され、仏教文化の影響を受けた珍しい遺物です。

古墳については、平成3年9月30日、川上季夫・重野さんの遺志を受け、親族のご厚意により、市に寄付を受け、同4年4月8日に東大阪市の文化財保護条例により史跡に指定されています。

平成14年12月 東大阪市』


そういえば、大賀世神社(おおがせじんじゃ)も古墳群の中の一つの古墳の上に建っていましたし、黄檗宗 迷脱山 常光院(じょうこういん)(地蔵寺(じぞうじ))には、土がなくなっていしまった石がむき出しになった「常光寺古墳(じょうこうじこふん)」がありました。ここから両古墳までは直線距離で700mもありません。

東大阪市郷土博物館のある山畑古墳群も同じような距離です。


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