(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市横小路町 臨済宗 天嵐山 醍醐寺〔安楽寺〕


坂をはさんで黄檗宗 迷脱山(めいだつさん) 常光院(じょうこういん)(地蔵寺(じぞうじ))の向かいの何とも言えない階段の上に醍醐寺(だいごじ)(安楽寺(あんらくじ))があります。

地蔵寺(じぞうじ)に少し驚いたのですが、住職の「今晩の盆踊りへおいだでなさい。」という招待を丁重に断り坂道に出たのですが、道を挟んで何ともいえない階段があり、門が開いていたのでお参りすることにしました。といっても私は怠りカトリック信者です。

なんとなく頼りなさそうな石でできた階段は危なっかしくて、更に草がはえています。


醍醐寺(だいごじ)(安楽寺(あんらくじ))

醍醐寺(だいごじ)は、正しくは「天嵐山(てんあらざん) 醍醐庵(だいごあん)」と称し、臨済宗妙心寺(みょうしんじ)の末寺です。創建は、はっきりしませんが、当初は安楽寺(あんらくじ)と称し、如意輪観音を本尊とする密教寺院でした。

鎌倉時代の末、元弘の変(1331)の時、後醍醐天皇が京都から吉野へひそかにうつられるとき、当寺に立ち寄られたことから、それ以後「醍醐庵(だいごあん)」と、改称したといわれています。元分年間(1736-1741)のころ、覚通浄と妻の貞純尼が妙心寺派の寺院を開基し、岸和田の十輪寺(じゅうりんじ)から円宗妙覚禅師を迎えて開山したと伝えられています。

本堂内の喚鐘(かんしょう)(:法会のときに用いられる小さな鐘)は、安楽寺(あんらくじ)○珍の時、文化11年(1814)池島村の人たちが世話人となって納めたもので、この頃は「安楽寺(あんらくじ)」と称していたことがわかります。天保十四年(1843)横小路村明細帳には、「京都妙心寺流 庵寺安楽寺(あんらくじ)」と載せられています。

明治になり、大阪寒山寺(おおさかかんざんじ)(現箕面市)の末寺となり、現在は本山の直末寺で、河内新西国三十三霊場の札所であり、地元では、安楽寺(あんらくじ)と呼ばれ信仰されています。

平成3年3月 東大阪市教育委員会』


安楽寺(あんらくじ)から往住院の方へ向かうための少し登って寺の東側に回り込むと小さな川と寺の塀に戸がついていて両岸に向かい合って石像があり、川の中央部には大きな石があります。どうやらここで何らかの修行をされるのでしょう。

それにしても境内から河内平野(大阪平野)に対する眺めは素晴らしいものがあります。曇っていたのですが大阪湾の橋も見えますし、南方には紀泉高原の山が見えますし、北東方向には六甲山の山並、正面には上町大地も見えます。