(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年09月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市横小路町 大賀世神社


雲行きが怪しくなってきました。東大阪市横小路町に鎮座する大賀世神社(おおがせじんじゃ)に到着しました。

大賀世神社(おおがせじんじゃ)は、信貴生駒連山の中央付近の中腹の位置に鎮座し、河内平野が川や池や沼であった時代から人の営みがあった地域です。

急な坂道の途中に鳥居と階段があり、階段下には横小路太鼓台の収納庫がありますので、神社は更に盛り上がった土地にあります。山腹なので複雑な地形かなと思ったのですが、どうやら、この盛り上がりは周囲から埴輪等が発見されていて古墳の墳丘とされているようです。

鳥居脇に古墳の説明書きが掲示されていました。古墳については別にレポートする予定ですが、再訪して確認する必要がありそうです。


大賀世神社(おおがせじんじゃ) 御由緒

横小路町の氏神で宇台風の大賀世古墳(おおがせこふん)の上に鎮座する風神である。延喜式 の神明帳に、大和国平群郡 龍田坐 天御柱国御柱神社 二座 並名 神大 月次 新當 と載る。今の奈良県生駒郡三郷村大字立野に鎮座する旧官幣大社龍田神社(たつたじんじゃ)の祭神と同じでおそらくその分祀である。明治五年六月二十六日枚岡神社(ひらおかじんじゃ)龍田社(たつたじゃ)の名で合祀されたが、同十三年三月二十七日に復し今日に至る。

旧村社である秋祭りは十月十五日に行わる。本殿は一間社春日造柿葺(こけらぶき)の建物で覆屋でおおわれており緑を三方に巡らし木階五級を供え緑にのぼる柱は面取りて垂木は主屋庇とともに疎垂木を配し正面の千鳥破風(はふ)には木連格子(きづれこうし)○魚(オンギョ)を飾り棟は箱棟である部分的に修理されたあとがあるが江戸時代中期の作と思われ市の文化財として指定されている。

大賀世神社(おおがせじんじゃ)の境外社として東高野街道より西に方守神社(ほうまもりじんじゃ)があり、猿田彦を祀り雨乞いの信仰があつい。』


と説明されています。最後の1行は方守神社(ほうまもりじんじゃ)のことで南西1km国道170号線(外環状線)の西側にあります。


大賀世神社(おおがせじんじゃ)と古墳

大賀世神社(おおがせじんじゃ)は、旧横小路村の氏神で、祭神は風神である天御柱神(あまのみはしらのかみ)国御柱神(くにみはしらかみ)の二座を祀っている。明治五年(1872)6月に枚岡神社(ひらおかじんじゃ)へ合祀されたが、同十三年三月に復社され、現在に至っている。覆屋で保護されている本殿は、江戸時代中期のもので、一間社春日造・柿葺(こけらぶき)の建物である。

社殿は、まわりの土地より一段と高い円丘上に鎮座しているが、北西の敷地からは、古墳時代の犬・イノシシ・馬などの動物埴輪や人物埴輪がまとまって発見され、まら北東部から巫女や線刻で刺青を表したと思われる人物埴輪や太刀・短甲などの器材埴輪などが削平された古墳の周濠と考えられる場所から出土していることから、大賀世神社(おおがせじんじゃ)の円丘は、比較的大きな同時期の中心的な古墳(円墳)で、周辺に埴輪を伴った小古墳が点在していたものと考えられる。

東大阪市』


と記されています。方守神社(ほうまもりじんじゃ)は、境内外社として南西約1Kmの場所にあります。

境内からは、北摂の山々や六甲連山が見えますし、曇っていたのに大阪湾にかかる橋までも見えます。西には淡路島と思しき山陰も見えていました。当然、眼下には河内平野が広がっています。


関連情報レポートリンク

【東大阪市 神社一覧】