(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年08月31日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市池島町 池島神社


生駒山麓から国道170号線を越えて平地に降りてきました。

東大阪市池島町に鎮座している「池島神社(いけしまじんじゃ)」の鳥居の側に、東大阪市の説明書きがありました。

『現代上方芸能振興の地「池島」

この灯籠を寄進した浪華落語反対派の代表岡田政太郎(まさたろう)は池島出身で、大阪玉造の風呂屋で成功し、明治末期に富貴席(ふきせき)という寄席を作りました。

当時、大阪では落語が主体の寄席が全盛期でした。政太郎は、それに反対して「なんでも構わぬ、上手も下手も関係ない、銭が安うて、無条件に楽しませる演芸」を看板に漫才や曲芸、手品、落語などを併せ興行し成功をおさめ、同種の寄席(浪華落語反対派)が増えてきましたが、政太郎は、宿望半にして大正10年なくなり、その興行方針は、盟友吉本泰三にうけつがれ、現在の吉本興行にいたっています。

現在演じられている漫才の元祖といわれる玉子屋円辰(たまごやえんたつ)も池島出身の人です。漫才は、江州・河内音頭から出発し、民謡、落語・流行歌などあらゆる芸能を混合してできたものです。円辰は、本名西本為吉といい、慶応元年(1865)に島中芳五郎の三男に生まれ隣村市場村の西本家の養子になりました。

その孫弟子として昭和20年まで円辰の門からは、荒川芳丸、芳坊と名乗っていた夢路いとし、喜味こいし等がでています。

このように池島は、現代の上方芸能に深くかかわりを持つところです。

昭和62年4月 縄手農業協同組合 東大阪市教育委員会』

それにしても、吉本興業との関わりの深い場所であったとは驚きです。

『江戸時代は山王権現、明治初期は日吉神社と称していました。明治五年、字南口にあった八坂神社、字中島にあった水神社とともに枚岡神社に合祀されましたが、明治十八年、以上の三社ともに旧日吉神社の地に合わせて復社して池島神社となりました。祭神は、大山咋命・素盞鳴命・磐長姫です。』

インターネットを探って前記の由緒を探し出しましたが、広い敷地の割にはさっぱりとした神社だなあと感じていました。

なんとなく、合祀や分祀ということが繰り返されているのですね。そういえば今日回った中の八尾にも殺風景な神社がありました。


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