(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年08月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市鴻池 鴻池新田会所Vol.3


表長屋門(おもてながやもん)」は、『会所の開設当時の絵図に茅葺きの建物として描かれています。

現在の建物は明治41年(1908)に建てられた状態に復元整備され、瓦葺きになっています。

門の左右には部屋があり、会所に出入りする人々や荷物などを確認する番人がいました。』

裏長屋門(うらながやもん)」は、『会所の開設当時からあったと思われますが、現在の建物は安政五年(1858)に建てられた状態に復元整備されています。

門の左右に部屋があり、船着き場から会所に出入りする人々や荷物などを確認する場所となっていました。もとは茅葺きでしたが、解体修理の時に銅板葺きにされました。』

学研都市線の線路がすぐ裏にまでせまっています。

「居宅」は、『「裏長屋門(うらながやもん)」の西側に北向きに作られ、周囲を塀で囲まれた内庭があります。

解体修理の結果や居間から江戸時代末期に建てられたことがわかり、当時の状態に復元整備されました。

会所支配人の居宅として、時には来客用に利用されていたと思われます。

明治29年(1890)には、第十三回国立銀行の出張員詰所、翌年には鴻池銀行新田出張所として使用されました。』

文書蔵(もんじょぐら)」は、『会所の開設当時からあったと思われますが、現在の建物は享和二年(1802)頃の状態に復元整備されています。

中には新田の開発や経営に関するたくさんの文書(書類)などがおさめられていました。

文書蔵(もんじょぐら)の入り口は、もとは北にありましたが、米蔵が建て替えられた時に、東に移されました。』

道具蔵(どうぐぐら)」は、『元文五年(1740)に建てられました。現在の建物は、安政三年(1856)頃の状態に復元整備されています。

この蔵には、新田内で使う農耕具が保管され、農民たちに貸し与えられていました。南側の床は板張りで、北側には土間タタキの床と壁に荷摺木(にすりき)がつけられ、道具の他に穀物も貯蔵できるようななっていました。』

乾蔵(いぬいぐら)」は、『天保十五年(1844)の屋根の建て替え時に、茅葺きから桟瓦葺きになりましたが、いつ建て替えられたのかは、明らかではありません。

会所内の、戌亥(いぬい)(北西)の方角にあることから、乾蔵(いぬいぐら)と呼ばれています。

米蔵に入りきらない米や、道具蔵(どうぐぐら)に入りきらない道具が収められていました。』

会所はなぜかそんなに広さを感じないような配置なのでしょうか。訪問していた時はそんなに広さを感じませんでした。しかし、こうして振り返ってみると何と広いと思い直されます。

必ず見学に行って欲しいですね。素晴らしいと思いました。新庄に住んでいたときに来ればよかったと思いました。