長田に神社マークがあるのですが、いろいろと走り回った記憶はあるのですが神社の記憶はありませんでした。

なんと道路と道路の真ん中あたりに道があるのを始めて知りました。そこに入る道は知っていましたが、入ったことはありませんでした。理由は、私の知っているもう一本の道との距離とその曲がり角から見る道の曲がり角の距離が半分位しかなくどう考えても行き止まりだと思っていたからです。なかなか神社マークにたどり着かないので、北側から回り込んでみました。細い路地のような先に神社の柵のような石が見えたので入って見ました。

長田神社の裏側に来ましたので、鳥居の方へ回り込んだら、「融通念仏宗 一乗寺と善光寺阿弥陀三尊図」という解説板が眼に入ってきました。
取り合えず長田神社に入る前にこちらの案内板に眼を通して見ることにしました。そうすると「お蔭灯篭」とその案内板が一乗寺の門前に経っていました。「お蔭灯篭」は菱江の交叉点の北東に昔からあるのを知っていました、そして先日回った、婀遅速雄神社の境内の中に大阪市内に唯一残っている「お蔭灯篭」がありました。

『一乗寺と善光寺阿弥陀三尊図
一乗寺には、旧長田村の中央字中の町と呼ばれた所にあります。この寺は融通念仏宗の寺で、阿弥陀仏を本尊としています。
規則によれば、天正八年(1580)に観信という人が開基と伝えています。
寺には南北朝時代前後の作である絹本著、色善光寺阿弥陀三尊図が残されています。
善光寺阿弥陀三尊図は、鎌倉時代以降各地で信仰され、彫像は数多く伝わっていますが、仏画としての遺品はひじょうに少なく、一乗寺の三尊図は貴重なものと言えます。

近年の修理で三尊の部分は描き改められていますが、その下の須弥壇や不動明王・毘沙門天の二像の緻密な描法等は、当初の趣きを多分に残しています。
鎌倉期の余影をとめる善光寺阿弥陀三尊画像の貴重な遺品として、昭和60年1月23日に東大阪市文化財保護条例によって有形文化財の指定を受けています。
昭和63年3月 東大阪市教育委員会』
この石像は横にあるお堂に安置されているものでなんとも素朴な雰囲気を醸し出しています。ファンには堪らない一品かも知れませんね。それでは、目前の長田神社へお詣りします。