(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年07月17日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

大阪市東成区深江南 深江山清原院 法明寺


記憶では、大阪府大阪市東成区深江南のこのお寺が深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)であると思って来たのですが違いました。

深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)の西側に隣接する「深江山清原院 法明寺(ほうみょうじ)」は、開放されている珍しいお寺です。私は、神社、寺院、教会は民衆に向けて開放されていないといけないと思っていますし、信仰のためには開放されていることが重要ですね。ちょっと高くなっていますがスロープは元の石橋を利用していると説明されており、ここが川であったことを偲ばせます。

法明寺(ほうみょうじ)の由来】

『当寺は花園天皇文保二年(1318)法明上人の創建である。上人は、弘安二年(1277)当地に生まれ、高野、比叡両山に上って、真言の秘法、天台の教観を極めるも、末世の凡夫生死出離の要諦は浄土の法門、弥陀の本願による外なしと感じ是より念仏三味に意を決し故里の当地に帰り、両親菩堤の為草庵を結ぶ、之法明寺(ほうみょうじ)の創りである。

上人は後醍醐天皇の御代、良忍上人によって創められた融通念仏宗の大念佛寺(だいねんぶつじ)を再興し、後、当寺に隠遁し、長瀬北陀草で荼毘に附せり。後、正保年間に至り堂宇荒廃甚だしく慶安元年(1648)浄土宗の僧善誉夢白之を再建し浄土宗知恩末となり現在に至る。

なお、境内左手の墓地中央付近に四層の石塔が二基あり、「雁塚(かりづか)」と伝えられる。』

この説明を熟読して拝観すれば良かったのですが、いきなり中に入ったものでどれが雁塚と捜してしまいました。

これは灯篭と呼ぶのでしょうか、なんと「火」を入れる部分に手を合わせた地蔵さまでしょうか、八体の像が刻まれています。始めてみる非常に珍しいものではないでしょうか。出来不出来ではなく、このようなものが有るということは知りませんでした。

雁塚(かりづか)の由来】

『当寺開山上人の俗弟あり弓矢の達者にして或年中冬の頃空高く一行の雁鳴きわたりけるを見付け給ひ持ちたる弓に矢をつがえ引き放ちける。

ほどなく一つの雁落ちけるを立ち寄りて見給ふに首より射切しが其の頭見へざりければ其のままにして立帰りけらし、然るに翌年又々同じ頃田面はるかに一つの雁ゐけるを射ころせしが其の羽がひより干からびたる雁の頭落ちけり、これ不思議なる事にやと思推し給ふけるに旧年この辺りにて射ころせし雁の頭これならんと思えば、鳥類とても親子夫婦の思愛浅からぬことを感じ涙落し給ふ。

かの鳥の屍骸を法明上人の御庵室の傍にうずみ志るしにとて塚を建てるが、ここに雁塚(かりづか)と云いつたふ。』

この一対の石塔が雁塚(かりづか)であるそうです。丁度、1間(1m80cm)程度離れて向かい合っています。この向かいに「當山歴代上人の墓」が新しく建てられているので、最初は何か有るなと思いながら素通りしてしまいました。

書いてあることを見ると何てことはないなんて思ってしまいますが、これって法話の中に出てくるような逸話ではないのか何て思いながら、あまりの暑さに退散してしまいました。

今回は、「西堤神社(にしつつみじんじゃ)」をスタートに「川俣神社(かわまたじんじゃ)」から「稲田八幡神社(いなだはちまんじんじゃ)」から「今津日枝神社(いまづひえじんじゃ)」「婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)」から「諏訪神社(すわじんじゃ)」から「深江山清原院 法明寺(ほうみょうじ)」から「深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)」で終了とします。