(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年07月17日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市東成区深江南 深江稲荷神社


大阪府大阪市東成区深江南に鎮座する深江稲荷神社は、近鉄布施駅の北側の商店街を抜けて信号を渡った所に位置しており、昔の「暗がり越え奈良街道」沿いに位置すると考えられます。「暗がり越え奈良街道」は、ここから柳通りまで産業道路に合流します。鳥居は、街道から少し北へ向かったところにあります。深江稲荷神社公式ホームページはこちらです。

社務所で頂いた説明書きには、『当社の創建年代は垂仁天皇の御代、笠縫氏の租が摂津国東生郡笠縫島の宮浦の地(今の深江南3丁目の地)に居を定め、下照姫命を奉祀したのを始とし、その後元明天皇和同年間に山城国稲荷神社の御分霊を勧請したと伝えられています。

慶弔8年豊臣秀頼が片山市正、加藤左馬介に命じ、社殿を改築しましたが、慶長19年に兵火により消失、その後、宝歴10年に本殿及び絵馬堂を再興し、寛政8年に本殿・拝殿に修理を加え、同時に石鳥居を再建し、明治5年に村社に列せられました。

境内には笠縫部の租を奉祀する「笠縫社」があります。笠縫氏は世々大和笠縫邑に住み、皇租の御鏡を守護していました。垂仁天皇の御代、その一族は浪速の入江、片江、深江の島(笠縫島)に移り住み、世々菅笠を作るを生業とし、伊勢神宮式年遷宮の行われる毎に御神宝の菅御笠・菅御翳を調達したそうです。

又、歴代天皇御即位式の大嘗祭に用いられる、御菅蓋も深江より調達されました。菅笠は古くから専ら貴顕の用に供されたものですが、近世に至り、一般人の旅行用あるいは作業に用いられ、伊勢神宮などには必ず携帯する習慣となったことは「摂津名所図会」に記されています。同じく境内の御?津神社は霊亀元年伊勢神宮より豊受御?津神の御分霊を移し、奉祀せるものである。

【深江と菅笠】

大阪はなれて早や玉造
  笠を買うなら 深江が名所
  ヤートコセ、ヨーイヤナー
   (伊勢音頭より)

縫いつたる こころ深江の菅こが
  あめの下にぞ 名はみちにける
   (千種中納言)

押し照る浪速菅笠置き古るし
  後は誰か着ん 笠ならなしに
   (万葉集)

江戸時代には大阪玉造の二軒茶屋を起点として、伊勢音頭を歌いながら集団で参宮したそうですが、人々は道中安全を願って深江で菅笠を買い求め、賑やかにでも不便な旅をしたそうです。

昔、深江は良質の菅草が豊に自制する浪速の一島でしたが、第十一代垂仁天皇の御代に、大和の笠縫邑より笠縫部が移住し、代々菅笠を作り、笠縫島と呼ぶようになったそうです。

以後、歴代天皇即位、大嘗祭の時は、天皇にさしかける御菅蓋(菅笠のこと)をはじめ、伊勢神宮式年遷宮に用いられる菅御笠、菅御翳(さしは)等、菅御料は、すべて深江から献納しています。』

と説明されています。ここでも天皇家にまつわる儀式は延々と継続して営まれている事実を垣間見ることができます。すみません、ここまでは深江稲荷神社公式ホームページに掲載されていましたが、存在を知らないで頂いた資料から入力したので我慢してください。もっと素晴らしい写真がありますので、深江稲荷神社公式ホームページへどうぞ。

この神社には、写真で紹介している、珍しい日本鏡をかたどった石碑もあり神輿も備えてあります。拝殿の破風の形は整った美しいものです。「諏訪神社」からここまで歴史のそれらしいものがないのは不思議です。更に布施の商店街を抜けて南へ行くと、「都留彌神社」後に現在ある、「布施戎神社(ふせえびすじんじゃ)」に至ります。


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