(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年07月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市城東区諏訪 諏訪神社


大阪市バスを見ていると、諏訪神社行きのバスをよく見かけました。ところがどこにあるのか解らなかったのですが、地図で見ると自宅から以外に近いので息休めに訪問してみました。

大阪府大阪市城東区のホームページによると『長野県にある諏訪大社の全国に5千ある分社にひとつ。創建の年代は不明ですが、境内に現存する古い石灯籠に『承和3年(836)4月寄進』と刻まれているところから、今から1200年ほど前の平安時代に創建されたと考えられます。祭神は、建御名方刀美命(たけみなかとみのみこと)八坂刀売命(やさかとめのみこと)。当祭神は武家の崇拝が厚く、軍神と呼ばれていることから、源義正奉納の額一面、豊臣秀吉奉納の獅子一対(牝獅子のみ現存)、させんどう不動の門前にあった宝暦10年(1760)銘の百度石などがあります。

菅原道真が筑紫への左遷の途中に当社に立ち寄り休憩をとったことから、道真を祭る天満宮が境内にあります。道真が座ったとされる腰掛け石などが祭られています(この地域の旧地名「左専道」は、この故事に由来するといわれています)。また境内には、戊辰戦争で官軍の軍艦に備えつけられていた大砲・砲丸が設置されています。その石台には「明治2年5月官軍攻五稜郭此其所用巨砲之一也」と記されています。』

この神社の拝殿の破風も堂々としていて、なかなか趣きがあります。境内は高低差がありますがうまく配置されていて、だんじりまつり(地車(だんじり))も結構賑やかに行われているようです。

鳥居をくぐってすぐに池があり、アヒルが泳いでいましたし、亀も数匹見かけました。網の柵で覆われてしまっているので、なんとなく断絶を感じてしまいますが、池があっても水が張ってあるのは少ないのでなかなか良いものです。

【菅公腰掛石の由来】

社の柵の前にある石が、「菅公腰掛石」で、『第六十代醍醐天皇の御代、当時右大臣であった菅原道真公は昌泰四年(901)筑紫の太宰権師として左遷配流の身となられ、河内道明寺に在住の伯母君にお別れのため、当神社前の堤上の道を通られ当神社にご参拝になった。

この時、この石に腰かけられて御休憩になられた。そして諏訪大明神が身の行く先を助け導く神と聞き、御神号の額一面を奉納されたという。

村人は菅公の御身上に同情し、地名を左遷道と改めた。(のち再び左専道と改め近年まで用いられていた)

なお腰掛石の横の手水鉢は菅公の子孫である平直貞が先祖の縁を偲んで享保二年酉中夏に奉納した物である。

この腰掛石に触れると学業成就の願いが叶うと伝えられている。』

しかし、前の曲がりくねった道が、東大阪市との境界で布施の深江稲荷神社までくねくねと続いているのですが、堤防の後であったということは、東大阪側は水(海、川、池)であったということですね。なかなか興味深い記録です。


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