(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2008年07月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市鶴見区放出東 阿遅速雄神社


大阪市鶴見区放出東に鎮座する「婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)」は、放出駅の東側にある神社ですが、入り口に門があるなど、他の神社とは少し違った趣きの神社です。我が家からは長瀬川沿いに下ってくると、この神社の近くに出てきますし、「新喜多(しぎた)」という地名もこの辺りを越えて環状線の京橋駅付近まで開発した名残りだそうですので、昔から重要な地点であったのでしょうか。

門をくぐって直ぐに『「天然記念物 くす」大阪市鶴見区放出東婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)の老樹であるが四季を通して、枝葉を旺盛で風雪に耐え、境内に荘厳の風を添えている。幹囲目通り 19尺2寸(約6m) 樹高 約50尺(約16m) 枝張 約98尺(約30m)より社頭の森厳を加え当方における名樹である。 (大阪府教育委員会 大阪府文化記念物保存顕彰規定により昭和18年8月23日 天然記念物指定) 昭和27年3月 大阪府教育委員会』

木の写真は掲載しませんでした。もう老木で幹周りが凄そうな事を看板に書いてありますが、すでに半分以上が朽ちていて、天神社の楠木のようにコンクリートで固めてあります。

それよりも菊の紋がついた馬の銅像の方が気になりましたが、残念ながら社務所が無人で教えていただくことはできませんでした。そんなに家から遠くないので涼しくなったら聴きにいきます。

この神社少し興味があります。境内も広く、それぞれがことごとく立派なのです。門があり、菊の紋の銅像の馬までいます。拝殿の横に石碑「阿遅速雄社(あちはやおしゃ)」があり説明書きがありました。

婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)が、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」という書物に登場する「式内社(しきないしゃ)」という格式のある神社のひとつ。阿遅速雄社(あちはやおしゃ)と考えられることを示した石碑です。

江戸時代中期の学者、並河誠所(なびかせいしょ)は、当時すでによくわからなくなっていた近畿地方の「式内社(しきないしゃ)」の場所を研究し、「式内社(しきないしゃ)」と考えられる神社に目印となる石碑を立てることを計画しました。1736年頃に、幕府の協力を得て、誠所の弟子が大阪周辺に20基の石碑を建て増した。うち四基が<大阪市内にあり、その一つがこの石碑です。

正面には「婀遅速雄神社」の社号が、向かって右側には「放出村(はなてんむら)」と場所が刻まれています。台石には「菅廣房(すがひろふさ)(たてる)」とあり、石碑を建てるために資金を出したと考えられる人物の名を記しています』

この石碑には「阿遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)」と彫られています。

お蔭灯篭(おかげとうろう)」『この灯篭は、1868年(慶応四)年に建立されたお蔭灯篭です。「お蔭まいり」という伊勢神宮への参詣を記念して建立されました。

江戸時代に入ると、1650(慶安三)年からほぼ60年周期で、沢山の人々が集団で伊勢神宮に参拝する、「お蔭まいり」という現象がおきました。その間は仕事を放り出してしまうなど、無頼なお祭り的性格が強かったようです。幕末の民衆運動である「ええじゃないか」と関連付けて考えられる事もあります。

現在大阪市内に残る「お蔭灯篭(おかげとうろう)」は、この婀遅速雄神社の境内に残る一基のみです。「お蔭まいり」を今に伝える貴重なものです。 大阪市教育委員会』

次は、大阪市バスの終点でよく目にする終点の「諏訪神社(すわじんじゃ)」に向かいます。

2010年に大阪市城東区放出西に鎮座する「婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)行宮(あんぐう)」を発見しています。


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