(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年05月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市中小阪 彌榮神社(弥栄神社)


大阪府東大阪市の近鉄奈良線河内小阪駅と八戸ノ里駅の中間の南側にあります。先に紹介した小坂神社(こさかじんじゃ)からの距離は50mもありませんし、司馬遼太郎記念館からも直ぐです。

市の用意した説明書きによると、『彌榮神社(いやさかじんじゃ)馬立跡(うまだてあと)

神社は旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王(ごずてんのう)と称されていました。創建年代は不明ですが、祭神は須佐之男命(すさのをのみこと)です。伝えによれば、天正の頃、石山合戦により村落とともに消失したと伝えられています。

その後、慶長5年に片桐且元(かたぎりかつもと)より社地を拝領し社殿を再建したと宮の記録に記されています。明治5年に現在の社名に変わりました。境内には文化2年(1805)の手水鉢、旧社名の牛頭天王宮と刻む享保十三年(1728)の燈籠、文政十一年(1828)の狛犬等があります。また、境内には旧大和川支流の堤防上に生えていた樹木が数本残り、いずれも堤防の土が取り去られたため、土中にあった根が浮き上がっています。

彌榮神社(いやさかじんじゃ)北側の一段高いところは、中小坂の村落を洪水から守るために築かれた堤の跡です。大坂夏の陣のとき、若江で陣を張っていた豊臣方の武将木村重成が大坂城の救援に向かいここまで来たとき、大坂城が炎に包まれていたため、馬の上に立って大坂城に別れを告げ、再び若江に戻って戦死しました。このことからここを馬立(うまんたて)と呼ぶようになったと言われています。
平成13年3月 東大阪市』と書かれています。

小坂神社(こさかじんじゃ)もこの彌榮神社(いやさかじんじゃ)もそんなに古くは感じなかったのですが、小坂神社(こさかじんじゃ)からこの彌榮神社(いやさかじんじゃ)横の道は抜け道のようになっていて子供の頃から友達の家に行ったときや市営プールに行くときにはいつも通っていました。境内に入ったのは今回が初めてですが、説明書きを読んだのも初めてです。

ここの稲荷神社は、鳥居が幾重にも並んでいて、またその鳥居の朱が目に映えます。京都に行くとこのような鳥居の配置がありますがそれぞれ寄進者の銘が彫ってありますので、感謝の意から奉納するものなのでしょうか。何よりも気候のよい日でしたので更に鮮やかな様相を見せていました。

この木が馬立(うまんたて)の堤防跡です。今ではガレージに取り囲まれていますが、彌榮神社(いやさかじんじゃ)の御神木にもなっているようです。東を見ると司馬遼太郎記念館が見えます。小坂神社彌榮神社(いやさかじんじゃ)は背を合わせるような形になっていて、参道の入り口はそれぞれ反対の方向を向いています。

寺とは異なり、神社の位置づけは民間信仰の部分が強いのでしょうか。奈良の学園前に住んでいた時に奈良市中町に鎮座する「大和国鹿島香取本宮(やまとこくかしまかとりほんぐう)」という神社が旧村にあり、正月に散歩していたらお金を持っていなかったのですが矢を頂きました。お金を払いに行っても誰もいないので近所の人に宮司さんはと聞いたら、「今月は誰やったかな」なんて言われて驚いてしまいました。

また、この神宮は奈良の時代祭りの「御祭(おんまつり)」の馬を飼育しています。孔雀や烏骨鶏などの飼育もしているので子供にはミニ動物園のような人気がありました。洗礼してくださった故小川悟神父さまも、宗教人の集まりに行っても、神道だけは理解しにくいとおっしゃていましたので、信仰の形があまりにも違うのでしょうね。


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