(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年04月06日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市高井田 新真言宗 総本山 長栄寺


京都の平野神社(ひらのじんじゃ)や東山の知恩院(ちおんいん)円山公園(まるやまこうえん)大谷祖廟(おおたにそびょう)高台寺(こうだいじ)大川(毛馬桜ノ宮公園)や大阪城の西の丸大阪城公園に花見に行くのも良いのですが、実は家の近くの大阪府東大阪市にも結構、桜の花を見たければわざわざ探さなくてもあるものです。実は先日開通したJRおおさか東線の河内永和駅の近くにも、鴨高田神社(かもたかたじんじゃ)(通称:かもたかじんじゃ)の北側に「正法根本道場 新真言宗 総本山 長榮寺(ちょうえいじ)というお寺があります。

長栄寺(ちょうえいじ)の説明によると「当寺は、伝えるところによると聖徳太子の開創にかかり、後荒廃久しかったものを近世の高徳、梵学の硯学慈雲尊者二十七歳の時、延享元年(1744年)来りて当寺に止住し、正法律の復興を唱え、その道場とした。

その後、尊者は有馬、長尾の滝、京都、河南高貴寺に転住されたが、大坂における説法は当寺で行われるのが常であった。河南町の磐船神社(いわふねじんじゃ)を根本道場とした。1804年、京都の阿弥陀寺(あみだじ)でその生涯を終えた。

かって尊者が、修禅のために生駒山中長尾の滝に建立された雙龍庵(そうりゅうあん)の遺構の一つ禅那台(ぜんなだい)は、その後、当時境内に移され今も厳存している。(昭和46年3月31日 大阪府文化財保護条例により指定 大阪府教育委員会 東大阪市教育委員会)」という説明書きがありました。中学生の頃に長尾の滝って良く行っていたなと改めて思い出しました。

この長栄寺(ちょうえいじ)は、聞くところによると結構有名らしいのですが、私はしょっちゅう前を通るのですが、中に入ったのは初めてです。但し、お参りにくる人はよく見かけますし、車の出入りもありますので、御参りの方は結構多いので花井かと思います。外から桜が咲いているなと昔から思っていたのですが、なかなかのものです。

このお寺には「長栄寺(ちょうえいじ) 木造(もくぞう)十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像(りゅうぞう)」という仏様があるようです。説明書きによると「平安時代後期の作と考えられる高さ106.6cmの檜材一本造りの直立像で、普段は本堂の厨子内に秘仏としてまつられています。片脚を遊ばせ、腰をひねること通例の像容であり、左手に宝瓶(ほうびょう)、右手に錫杖(しゃくじょう)を執るいわゆる長谷寺(はせでら)式の十一面観音(じゅういちめんかんのん)像です。ところどころに顔料が残ることから、元来は彩色であったと認められますが、ほとんど剥落し、衣紋の隅に僅かな胡粉の色を留めるばかりです。像体は風化し、素地の木目があらわれています。付け加えられた台座、後背などからみると、江戸時代に修理が行われたものと思われます。その際に、頭部および衣紋以外の身部を整え、これを漆塗りとするとともに、顔面では胡粉で両眼白毫を、丹塗りで口唇を彩っています。化仏の全てと持物の宝瓶や台座、後背などは後に捕らわれたものです。

頭部と衣紋の表現に藤原様式をよく残すことから、昭和45年2月、大阪府の文化財(彫刻)にしていされました。(平成13年3月 東大阪市)」


この木彫を模したと思われるブロンズの立像が本堂の脇に立っています。また、色鮮やかな別の仁王像と思しき立像も門から入って左側にあります。

JRおおさか東線の開通もあり、一度、試しノリに便乗して花見でもどうですか。河内永和駅からは布施まで近鉄奈良線の下にポッポアベニューという商店街もあり、傘なしでも歩いていけます。布施、河内永和、河内小阪、俊徳道のぞれぞれの駅間は1km以下ですので歩いても10分はかかりません。布施のえべっさんもそんなに遠くはありません。


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