(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年03月21日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市天王寺区逢阪 安居神社〔真田幸村没地〕


上町台地の南の端の方の大阪市天王寺区逢阪に鎮座する「安居神社(やすいじんじゃ)」です。「天神坂(てんじんさか)」と「逢坂(国道25号線)」に挟まれた賑やかな所のなのですが、境内は静まりかえっています。天王寺七坂逢坂(おうさか)を挟んで一心寺があるのに、なんと静寂な場所がこんなところにと思ってしまいした。天神坂(てんじんさか)からの入り口には「安井神社」と記された看板もありましたが間違いでしょう。

境内は人影もなく、お彼岸で賑わっている一心寺の向かい側にあるとは思えません。何とここは真田幸村が没した場所だそうです。戦乱の世には賑やかであったのでしょうか、

人影もない境内は魅力的でもあります。散策するコースには最適ですし、歴史街道として紹介されている中にも組み入れられているのですが、お彼岸にはやはり墓参り優先ということでしょうか。

理由は私には解りませんが、牛がいました。確か大阪天満宮にも牛がいたはずです。ここは石彫りですが、天満宮は銅像というが、鋳物であったような記憶があります。

写真では紹介しませんが、石に字を掘った石碑が乱立しています。これって、やはり真田幸村の没地ということで奉納されているのでしょうね。

立て札には、「真田幸村陣 歿の旧跡」として「元和元年大阪夏の陣に徳川家康は秀忠と共に大軍を率いて大阪城を攻めた。ここに於いて大阪の兵は城のの既に慎むべからざるを知って、出でて戦い、5月6日幸村は後藤基次、薄田兼相等と大和口を防がんとして、

河内の片山道明寺に赴き基次等が敗死したので、援軍となって伊達政宗の兵と戦い翌七日は天王寺付近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内の一本松下で戦死した。時に年齢49歳であった。当時の松は既に枯死したが、社殿復興を機に昭和26年4月24日これを記念して植樹さる」とかかれています。

この石碑の後ろに松が植わっていましたので、ここが真田幸村が大阪夏の陣で没したとされているところなのでしょう。真田幸村ファンには有名な所なのでしょうが、私は50歳を過ぎるまでまったく知りませんでした。

人生まだまだ奥が深そうですね。戦記物の書物が好きな方にはたまらないかもしれませんが、私にはとんと理解不明です。もう少し齢を重ねたら読んでみようと思います。


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