(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年03月19日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市中央区森ノ宮中央 越中井 細川ガラシア夫人


大阪市中央区森ノ宮中央の細川ガラシャ/明智 珠(明智 玉)(ほそかわガラシャ/あけち たま、永禄6年〔1563年〕 - 慶長5年7月17日〔1600年8月25日〕)は、明智光秀の三女で細川忠興の正室ということになっています。明治期にキリスト教徒らが彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになったが、前近代の日本は夫婦別姓であり、北条政子・赤橋登子・日野富子などの例に照らせば「細川」姓で呼ぶのは明らかな間違いで、「明智 珠」と呼ぶのが正しい。

カトリックの大阪カテドラル聖マリア大聖堂の東側の道路の行き止まりのようになったところに、「越中井(えっちゅうい)」大阪府史跡第2号という立て札とともに井戸のあとがあります。史跡と言っても井戸があるだけですので、なかなか理解し難いと思うのですが。興味は1号はどこかななんて思ってしまうのは私だけでしょうか。

夫の忠興が九州へ出陣し、彼女は意を決してカトリックの教えを聞きに行った。教会ではそのとき復活祭の説教を行っているところであり、珠は修道士にいろいろな質問をした。そのコスメ修道士は後に「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」と述べているということで、戦国時代のカトリック信者として認定されているのです。

そうなのです。ここの史跡というのは、なんの変哲もない石造りの井戸がその史跡として指定されているのです。

ものの説明によると「細川越中守忠興と細川ガラシャの屋敷台所の井戸とされる。関ヶ原の戦いで夫である忠興が徳川方についた事から石田三成は、忠興の戦意を失わせるためガラシャを人質として大坂城内へ入城させようとしたが、ガラシャはこれを拒みこの屋敷にて自害した。現在では「越中井(えっちゅうい)」として地域住民により保存されている。」ということです。

いくら設定しても写真がおかしいのですが縦横がおかしく表示されていれば我慢してください。私はこの井戸の立て札に書いてある大阪府史跡第2号に大きな興味を刺激されたのですが、大阪城を直ぐ北にというか、昔は城内であったのでしょうか。この辺には面白い史跡やお寺などの名所が多いので散策しても面白いですよ。お薦めのスポットであることは間違いありません。