
京都府相楽郡笠置町笠置笠置山にある「真言宗智山派 鹿鷺山 笠置寺」です。
笠置は、昭和四十八年(1973)に木津川の河原でキャンプして以来かなりの回数来たことがあるのですが、山を登って柳生までのハイキングに行ったときに山門脇を通った記憶がある程度で、訪問参拝したのは初めてだと思います。
巨大な摩崖仏があることは知っていましたので、いつかは訪問参拝したいと思っていました。
日曜日に訪問したくはなかったのですが、春の桜も聞いたことがあるのですが、きっと紅葉も良いなと思っていて偶々近くに来たので訪問しました。

『笠置山寺縁起
笠置山寺の歴史は古く、その創建は不明であるが、出土品から見て飛鳥時代すでに造営されていたようである。
奈良時代大和大峰山と同じく修験道場として栄え、平安時代には永承七年(1191)藤原貞慶(解脱上人)が日本の宗教改革者としてその運動を当寺から展開するとき信仰の寺として全盛を極めた時代であった。
しかし、元弘元年(1331)八月倒幕計画に失敗された後醍醐天皇の行在所となり幕府との攻防一ヶ月九月二十九日全山焼亡、以後復興ならず、室町時代少々の復興をみるも江戸末期には荒廃、ついに明治初年(1868)無住寺となった。
明治九年(1877)、大倉丈英和尚錫を此の山に止め復興に力を尽くすこと二十年ようやく現在の姿に山容を整えられたのである。』
※ 境内掲示より

『本尊弥勒摩崖仏
笠置寺の本尊仏である。
古来より天人彫刻五十尺の仏といわれているが調査の結果では奈良時代中期には彫刻されていたようで天人とは中国大陸から来た人達のようである。
摩崖仏前の礼堂が創建から三度火災にあい、その都度本尊摩崖仏も火をあび彫刻された表面は焼けくずれてしまった。
しかし平成二十二年秋、特殊カメラとその技術で残った線を探したところいたるところから最初の彫刻線が見つかりその線をつなぎ合わせ完成されたのが堂内の画像で本尊五十尺の弥勒摩崖仏のお姿である。
笠置寺奉賛会』
※ 境内掲示より
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笠置寺境内
鐘楼
十三重石塔
文麿石(笠置石)
弥勒石(摩崖仏)
正月堂
笠置寺 行場めぐり
太鼓石
ゆるぎ石
平等石
二の丸跡
もみじ公園
稲荷社
笠置寺舎利殿
毘沙門堂
解脱上人墓
笠置山の山頂付近境内があり、後醍醐天皇が南北朝時代に置いた行在所があり、大きな岩には巨大な摩崖仏、春には桜、秋には紅葉が楽しめます。
お寺の近くに駐車場がありますが、アクセス経路は急で細く登りと下りですれ違いができないためにかなり後退することがそれぞれ一度づつ余儀なくされました。
運転には少々技量が必要です。
紅葉狩りの人について行ってしまったので順路とは逆に回ることになりました。
桜見物には徒歩で登る方が良いかもしれません。