(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2021年01月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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相楽郡笠置町笠置笠置山 真言宗智山派 鹿鷺山 笠置寺


京都府相楽郡笠置町笠置笠置山にある「真言宗智山派 鹿鷺山 笠置寺(かさぎでら)」です。

笠置は、昭和四十八年(1973)に木津川の河原でキャンプして以来かなりの回数来たことがあるのですが、山を登って柳生までのハイキングに行ったときに山門脇を通った記憶がある程度で、訪問参拝したのは初めてだと思います。

巨大な摩崖仏があることは知っていましたので、いつかは訪問参拝したいと思っていました。

日曜日に訪問したくはなかったのですが、春の桜も聞いたことがあるのですが、きっと紅葉も良いなと思っていて偶々近くに来たので訪問しました。


笠置山寺(かさぎさんでら)縁起

笠置山寺(かさぎさんでら)の歴史は古く、その創建は不明であるが、出土品から見て飛鳥時代すでに造営されていたようである。

奈良時代大和大峰山と同じく修験道場として栄え、平安時代には永承七年(1191)藤原貞慶(解脱上人)が日本の宗教改革者としてその運動を当寺から展開するとき信仰の寺として全盛を極めた時代であった。

しかし、元弘元年(1331)八月倒幕計画に失敗された後醍醐天皇の行在所となり幕府との攻防一ヶ月九月二十九日全山焼亡、以後復興ならず、室町時代少々の復興をみるも江戸末期には荒廃、ついに明治初年(1868)無住寺となった。

明治九年(1877)、大倉丈英和尚錫を此の山に止め復興に力を尽くすこと二十年ようやく現在の姿に山容を整えられたのである。』

※ 境内掲示より



本尊弥勒(みろく)摩崖仏(まがいぶつ)

笠置寺(かさぎでら)の本尊仏である。

古来より天人彫刻五十尺の仏といわれているが調査の結果では奈良時代中期には彫刻されていたようで天人とは中国大陸から来た人達のようである。

摩崖仏(まがいぶつ)前の礼堂が創建から三度火災にあい、その都度本尊摩崖仏(まがいぶつ)も火をあび彫刻された表面は焼けくずれてしまった。

しかし平成二十二年秋、特殊カメラとその技術で残った線を探したところいたるところから最初の彫刻線が見つかりその線をつなぎ合わせ完成されたのが堂内の画像で本尊五十尺の弥勒(みろく)摩崖仏(まがいぶつ)のお姿である。

笠置寺(かさぎでら)奉賛会』

※ 境内掲示より


笠置寺(かさぎでら)境内

笠置山(かさぎさん)の山頂付近境内があり、後醍醐天皇が南北朝時代に置いた行在所があり、大きな岩には巨大な摩崖仏、春には桜、秋には紅葉が楽しめます。

お寺の近くに駐車場がありますが、アクセス経路は急で細く登りと下りですれ違いができないためにかなり後退することがそれぞれ一度づつ余儀なくされました。

運転には少々技量が必要です。

紅葉狩りの人について行ってしまったので順路とは逆に回ることになりました。

桜見物には徒歩で登る方が良いかもしれません。


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