(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2021年01月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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綴喜郡宇治田原町荒木天皇 田原天皇社〔施基皇子伝承〕


京都府綴喜郡宇治田原町荒木天皇に鎮座する「田原天皇社(たわらてんのうしゃ)施基(しき)皇子伝承〕」です。

大宮神社(おおみやじんじゃ)の長い石段を登って参拝しようとやって来たのですが、妻が少々筋肉痛気味なので迂回して境内まで登れるようなので廻り込んでくると何やら説明書きが目に留まりました。

往路では気付かなかったのですが道路を挟んで稲荷神社(いなりじんじゃ)が鎮座していました。

不思議です。


田原天皇社(たわらてんのうしゃ)施基(しき)皇子伝承〕

当郷の伝承によると天智天皇の第七皇子施基(しき)親王は政難を避け田原の地に隠栖(いんせい)され霊亀二年(716)八月にこの地で薨去された。

この時、親王の第二皇子湯原王(ゆはらのおおきみ)はお邸の跡に岩代大明神(いわしろだいみょうじん)を建てて父親王の霊を弔った。

その後、第六皇子白壁王(しらかべのおおきみ)が光仁天皇として即位されるとすぐに父親王に田原天皇の(おくりな)を奉り、宝亀二年(771)九月に勅使前右大臣正二位吉備真備(きびのまきび)を参向させ正一位田原天皇と奉って田原天皇社を造営させ、以後厳重に崇め祀ることを命じ封戸(ふこ)位田(いでん)を賜った。

なお勲一等を授与され毎年十一月八日に、奉幣使(ほうへいし)を立てられていたが、いつの間にか廃れてしまったと言う。

明治四十年四月十六日、大宮神社(おおみやじんじゃ)に合祀された。』


日本の考古学が曖昧な気がして歴史に興味がなかったので、聞き覚えの無い名前が少なくないのですが、「吉備真備(きびのまきび)」は、知っていますね。

神話なんて信用してい良いものか私には解りません。


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【京都府綴喜郡 神社一覧】