(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年03月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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木津川市加茂町森陀羅尼田 森八幡宮


京都府木津川市加茂町森陀羅尼田にある「森八幡宮(もりはちまんぐう)」です。

この場所に辿り着くのには少しばかり苦労しました。

見当違いの方向に進んだのですが、そのおかげで「瀬谷不動尊(せたにふどうそん)」を訪問参拝できました。

その距離では、この森八幡宮(もりはちまんぐう)は既に通り過ぎているはずだと思い戻ってきたのですが、ようやく看板を発見して安堵しました。

此の地に恭仁京(くにきょう)への経路なんでしょうか。

方向が少しばかり違うような気がします。


森八幡宮(もりはちまんぐう)(●●)

社伝によれば天平十二年(740) 聖武天皇●山城、恭仁の新京へご遷幸のときに、この地に勧請されたものであると伝えられる。

その右仁寿年間文徳天皇当社に特別の勅宣があって附属の刀彌五十有余名をいたとあり、もっとも隆盛した当時はこの地を山田荘といっていたというが、石橋の碑文からみて寛元三年(1245)頃(鎌倉初期)の造立ではなかろうか。

本殿は江戸初期の建築であるが、桃山様式をかなり取り入れ、木組もしっかりとして損傷少なく蟇股(かえるまた)や障壁の(すか)()りの文様を見ても重要視できる神社建築である。

不動明王・毘沙門天石佛

 ともに鎌倉の後期正中三年(1345)の作

石橋の石碑

 花崗岩の自然石で銘文のある面だけ加工されている

  銘文(●印 解読不能)

  ●平 印成次●●之●建●

当社八幡宮(はちまんぐう)御宝前之石橋

 寛元三年乙巳三月日 ●大工 ●●久 とある

 鎌倉初期のもので数少ない

昭和五十七年十月吉日

加茂町文化財愛護協議会』

※ 境内掲示より



森八幡宮(もりはちまんぐう)と「ずんどぼう」(大字 森)

聖武天皇が恭仁京へ御遷幸の時(天平十二年(740))この地に勧請されたと伝えられる本宮は、「森の八幡さん」として、人々に親しまれている。

また、この八幡宮を中心にして、森地区に、「ずんどぼう」と呼ばれた力持ちの人の話が語り継がれている。

ある日、牛を引いて奈良に行った時のこと、橋の上で大名行列に出会った。

ずんどうぼうは、牛の前足二本・後足二本を両手で握って牛を持ち上げ、欄干から外へ牛を突き出し、大名行列を通したという話や、力士との相撲をとるのに青竹を一本引き抜き、これを褌がわりにして土俵にあがったところ、力士はこれをみて逃げ出したという話、高さ2m50cm・幅1m80cm・暑さ30cmの石を杖がわりにしたというような話が伝わっている。

「ずんどぼうの杖(本宮奥50m)・ずんどぼうの石碑(本宮から勝風より)・ずんどぼうの屋敷跡(森地区内)」などと言う言い伝えが残っている。

森八幡宮(もりはちまんぐう)

加茂町』

※ 境内掲示より


満足しました。


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