(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年03月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都市下京区烏丸通七条上る常葉町 真宗本廟〔東本願寺〕


京都府京都市下京区烏丸通七条上る常葉町に鎮座する「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)東本願寺(ひがしほんがんじ)〕〔公式HP〕」です。

西本願寺(にしほんがんじ)から東本願寺(ひがしほんがんじ)を経由して大谷祖廟(おおたにそびょう)にお参りしておこうと正月の三が日を避けてお詣りしました。

我が家は如何やら西本願寺(にしほんがんじ)系のようですが、末っ子の父の葬儀に来たのが息子の英語の先生で東本願寺(ひがしほんがんじ)で葬式をあげたので月参りも欠かさず来てもらっていました。

昨今は東西の区別は徐々に無くなりつつあるという事なのでそんなに気にしていません。


東本願寺(ひがしほんがんじ)

真宗大谷派の本山で、真宗本廟(しんしゅうほんびょう)といい西本願寺(にしほんがんじ)と区別して一般に東本願寺(ひがしほんがんじ)と呼ばれている。

本願寺(ほんがんじ)は、文久九年(1272)宗祖親鸞(しんらん)のむすめ「覚信尼(かくしんに)」が、東山大谷の地に仏堂を建て、親鸞(しんらん)御影(ごえい)を安置した時にはじまるが、室町時代第八代「蓮如(れんにょ)」の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田(おだ)信長(のぶなが)にも対抗した。

豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)は、六条堀川の地に本願寺(ほんがんじ)を再興し、ついで徳川(とくがわ)家康(いえやす)は慶長七年(1602)この地を寄進し、第十二代教如(きょうにょ)が堂舎を建てて本寺がはじまった。

堂舎は、その後たびたび火災にあい、現在の建物はいずれも明治時代からの再建であるが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示している。

親鸞(しんらん)御影(ごえい)を安置する御影堂(ごえいどう)阿弥陀堂(あみだどう)よりも大きく造られて中心をなし、高さ三十八メートル、正面の幅七十六メートル、内部は九二七畳の大広間であり、竣工は明治二十八年である。

寺宝には親鸞(しんらん)直筆の教行信證(きょうぎょうしんしょう)(国宝)、祇本着色本願寺聖人伝絵(重文)等の文化財のほかに両堂再建に使われた「毛綱」等を多く蔵している。

京都市』

※ 境内掲示より


阿弥陀堂(あみだどう)は屋根の葺き替え中だそうで、建物全体が覆われていました。

写真もピンボケが多いし、何度も参詣しても悪くないだろうし再訪問します。

京都市内の史跡や神社仏閣などを廻るのは大変そうです。

そう言えばブラジルからホームステイに来ていた時に彼らはレンタサイクルで廻っていたようですので、正月からもし利用できるのであれば利用してみます。

自転車で回るのであれば、夏よりも冬の方が少しばかり快適ではないかと思います。