(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年02月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都市下京区間之町通り花屋町下る天神町 文子天満宮


京都府京都市下京区間之町通り花屋町下る天神町に鎮座する「文子天満宮(あやこてんまんぐう)公式HP〕」です。

正月三が日には大勢の人出が予想されるので、一日遅らせて京都駅から東山まで散策しようとやって来ました。

折角だから西本願寺(にしほんがんじ)から東本願寺(ひがしほんがんじ)経由で東山を目指している途上に参拝することが出来ました。


文子天満宮(あやこてんまんぐう)

祭神として菅原道真を祀り、洛陽天満宮二十五社の一つに数えられている。

社伝によれば大宰府(福岡県)に左遷された道真は、延喜三年(903)に五十九歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣(おつげ)を受けたという。

しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったと伝えられている。

これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられている。

以後、天明、安政、元治の大火で類焼したが、その都度再建され、明治に至り、村社に列せられた。

現在の社殿は、大正七年(1918)に造営されたものである。

毎年四月十六日に近い第三日曜日に、例祭が執り行われる。

京都市』

※ 境内掲示より



文子(あやこ) 託宣の像

天慶五年(942)七月西京七条に住む文子に「九州より都に帰りたいと思っているので、昔からゆかりの深い右近の馬場(今の北野天満宮)に祠を構えよ」との菅原道真公の託宣(おつげ)が下った。

しかし文子はその力なく住居の庭前に小さな祠を建てて崇めまつったのである。

天暦元年六月九日、文子は菅原道真公の御霊を北野の地に移しおまつりもうしあげました。

これが北野天満宮の創建であります。

多治比の文子により菅原道真公を我国一番最初に天神さまとして信仰の対象におまつり申し上げた次第から天神信仰発祥の神社と言われる由縁であります。』

※ 境内掲示より

歴史本などによれば、菅原道真が左遷などに落とし込んだ人に祟りがあったから祀られたということになっていました。

丁寧に祀られている祭神は祟り神が少なくないという事でしょうか。

それにしても菅原道真公を祀っている神社はかなりあるように思います。


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