(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2016年01月30日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都市下京区富小路五条下ル本塩竈町 長講堂


京都府京都市下京区富小路五条下ル本塩竈町 長講堂にある「長講堂(ちょうこうどう)」です。

京都は寺院が多いと言いますが、通りの両側に延々とお寺が並んでいるので、相当多いことは否めません。

京都市民が御所い天皇がかなりの長期間滞在していたことを誇りにすることと寺社仏閣がかなり多いこととは何らかの形で関係があるのではないかと思います。

いずれにしろ外来者には理解しにくい住所だけは何とかしてほしいのですが。


長講堂(ちょうこうどう)

平安時代末期の寿永二年(1183)に、後白河法皇(1127 - 1192)が晩年を過ごした院御所「六条殿(ろくじょうどの)」内に建立した持仏堂(じぶつどう)が当寺の起こりである。

後白河天皇は、譲位してか上皇となってからも三十余年にわたって院政を行い、嘉応元年(1169)には仏門に入り法皇となった。

長講堂(ちょうこうどう)は、正式には法華長講弥陀三昧堂(ほっけちょうこうみださんまいどう)といい、法華経を長期間講じ、阿弥陀仏を念じて精神集中の境地に入る道場という意味がある。

後白河法皇は莫大な寺領を長講堂(ちょうこうどう)に寄進してその経済的基礎を築いたが、没する直前に、長講堂(ちょうこうどう)とその寺領を寵愛していた丹後局(たんごのつぼね)の子・宣陽門院覲子(せんようもんいんきんし)内親王に譲った。

その後、第八十九代後深草天皇に譲与され、以降、いわゆる持明院統(じみょういんとう)によって相続された。

もとは六条西洞院にあったが、度重なる火災の為転々と寺地を変え、天正六年(1578)に豊臣秀吉によって現在地に移された。

本堂には後白河法皇の臨終仏である本尊の阿弥陀三尊像(重要文化財)が(まつ)られ、御影堂(みえいどう)には毎年四月十三日の法皇忌にのみ公開される。

江戸初期に作られた後白河法皇坐像(重要文化財)が安置されている。

京都市』

※ 境内掲示より


中に入って良いのか…、インターフォンを押してまでという事もありますので「法皇忌」の日に来れば良いのか。

解りません。

困ってしまいます。