(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年11月28日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都市下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 明王院不動堂


京都府京都市下京区油小路通塩小路下る南不動堂町にある「明王院(みょうおういん)不動堂(ふどうどう)」です。

隣接して「道祖神社(どうそじんじゃ)」が鎮座しています。


霊石不動堂(ふどうどう)縁起

本寺の開基は今から凡そ一千年前の弘仁十四年(823)に弘法大師空海が嵯峨天皇の篤い帰依を受けて京都洛南に東寺を賜ったとき、東寺の鬼門(東北)にあたるこの地を択んで、法祓守護のため一体の不動尊を祀ったのに由来します。

この不動尊像はたまたま大師がこの地に発見した一基の妙霊なる石に、みずから彫り刻んだものでした。

大師はこの霊験あらたかなる霊石不動が穢れた凡夫の目に触れるのを憚って、石棺に納め、更にこれを地中の井戸深くに安置したのです。

寛平十一年(899)宇多天皇の御代に、ふかく仏道に帰依されていた天皇が法皇になられたとき、この地をふくめて京都西、洞院に東西に二町(約二百二十米)、南北に四町(約四百四十米)という広大壮麗なる東七条御所(または亭子院(ていじのいん))をいとなまれました。

その亭子院(ていじのいん)の造営にあたって宇多法皇はここに霊石不動の安置された井戸のあるのを知り、人に命じて取り出されようとしたところ、霊力のためか井戸の石をみるもの(ことごと)く眼を病み恐れをなして終に果たせなかったといいます。

そこで法皇は勅して井戸を封じ以後何人もうかがうことを許さず、大いなる堂宇をいとなみ、これに霊石不動明王(ふどうどうみょうおう)の号を賜って、日夜御念持仏としていたく尊崇されたのです。

下って室町時代、応仁の兵火に亭子院(ていじのいん)はじめこの堂宇も消失したが、井底に安置されたままの霊石不動は多くの信仰をあつめ、篤志家たちの手になって再び堂宇の造建をみました。

その後、江戸時代に入って明和元年(1764)十一月本堂の改築修理に及び、今に至っています。

建立当初、本寺は宇多法皇が仁和寺と縁浅からぬ関係上、同寺の直属道場として天明二年(1782)まで、その下にありましたが、以来西山浄土宗に属して現在に至っております。

本寺の本尊である弘法大師の一刀三礼と伝える霊石不動明王(ふどうどうみょうおう)は、現在も井底に封じられたままにあるため、古今誰ひとりとして直々に拝したことがなく、ために御前立として同じく不動尊立像を安置してこれを拝することになっております。

世俗に高野山波切不動尊と成田不動尊と並んで、空海作の三体不動尊と称されるものです。

尚、不動尊の右に弘法大師像、左に修験道とのゆかりの歴史を物語る役行者像が安置されています。

毎月二十八日には護摩を焚き、厄除け・家内安全・交通安全・病気平穏の●時の行事をおこなっております。

西山浄土宗

不動堂(ふどうどう)明王院(みょうおういん)

境内表示による


いやはや、面白い内容です。

善光寺の御本尊も人目に触れていなかったと思います。

信仰とは信じることが一番でそういうものなんでしょうね。

怠りカトリックの私がイエス・キリストを信じていますので、似たようなものなんでしょうか。