(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年06月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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木津川市山城町椿井 松尾神社


京都府木津川市山城町椿井に鎮座する「松尾神社(まつおじんじゃ)」です。

狛弁才天社(こまべんざいてんしゃ) 0.6km」「松尾神社(まつおじんじゃ) 0.5km」という案内板を見て狭くて曲がりくねった道を登り、よく解らないので踏切付近で休憩をしていた人に尋ねて踏切を渡って細い道を進むと道路工事中の道に入り込んでしまいました。

困ったのですが池の横の細道を徒歩で登っていくと鳥居が見えてきて安心しました。


松尾神社(まつおじんじゃ)

天武天皇が吉野山より東国へ向かう時、この地で大山咋神(おおやまくいのかみ)の化身であるという樺井翁と軍議を談じ、翁が姿を消した後に残された宝珠をこの地の後の鎮めとした。

のち大宝元年(701)に秦都理が霊夢によってこの宝珠を得て、これを神体として宮殿を創建したのがはじまりと伝える。

近世以前は、御霊神社(ごりょうじんじゃ)が「下の宮」と呼ばれたのに対して、「上の宮」と呼ばれ、ともに椿井から上狛にかけての人々の信仰を集めていた。

拝殿棟木に墨書銘があり、現在の拝殿が慶長十五年(1610)に再建されたことともに、有力農民の代表である「十二番頭」や、南村(上狛)と北村(椿井)の宮座一老、松尾社、御霊社の神主などの名が記されている。

また、宮座に残されていた遷宮神事を行う時の絵図にも、狛野荘の荘官である下司、公文、卜木の席や、有力名主によって構成されていた中老座、ばく老座の席、能や狂言を演ずる舞台や楽屋、はしがかりなどが描かれていて、これらから、中世の村政をつかさどった組織と松尾神社(まつおじんじゃ)とのかかわりがうかがえる。

なお、表門も拝殿とほぼ同時期の桃山時代の造立である。

本殿は文化五年(1808)に奈良春日社若宮本殿を移築したものであり、東隣の御霊神社(ごりょうじんじゃ)本殿は、春日社三ノ宮を文政六年(1823)に「下の宮」に移築し、さらに明治十三年に神社併合により、ここに移築されたものである。

中世村落における神社の面影をとどめる建物群である。』

※ 境内掲示より



由緒

当神社は松尾神社(まつおじんじゃ)と摂社御霊神社(ごりょうじんじゃ)、その他末社数社を境内に奉斎している。

例祭は毎年十月十七日である。

松尾神社(まつおじんじゃ)は古来下ノ宮の御霊神社(ごりょうじんじゃ)に対し上ノ宮と呼ばれ、上狛、林、椿井郷の鎮守の社として栄え祭神は月読之尊(つくよみのみこと)であり、旧郷社であった。

社殿によれば通称椿井ノ社と呼ばれ天平勝宝年間(749 - 757)創建されたと伝えられ嘉吉元年(1441)の興福寺(こうふくじ)官房務諜疎の記録によれば「椿井松尾神社(まつおじんじゃ)同郡同郷土産神神供僧五人神人七人文武帝大宝元年降臨秦部理勧請也」とある。

本殿は一間社春日造り桧皮葺で奈良春日若宮社の古殿を文化五年(1808)拝受したとの文献があり大正二年(1913)に国の重要文化財の指定を受けている。

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は下ノ宮と称し椿井郷南端の小高い御霊山に鎮座されていたものを明治十三年(1880)内務省の神社の統合令によって此処に遷され現在に至っている。

祭神は素戔嗚之尊で旧村社であった本殿は奈良春日大社の旧殿を拝受したもので春日神社御造営物支配之記に「三の御殿山城狛村に遺す金物並に御道具添え金四拾両・・云々とあり両社とも春日神社とは深いつながりがあったのである。

又藤原時代の木造牛頭天王半跏像等四体の神像も存し昭和五十八年には本殿並に拝殿楼門は京都府の登録文化財に神域一帯は自然環境保全地区に指定されている。

古来当社の神主は室町期より近世にかけて地侍、名主によって受け継がれ又宮座には中老座と白老座があって祭事の運営にあづかりなお招待には宮塔衆(真言宗角之坊)や宮家衆たらり講衆(真言の蛇羅尼経を唱える信徒)神童寺鷲峯山金胎寺等の僧の客分の席が設けられ祭日には和束天満宮より神輿の渡幸もあったと記されているが今ではその威事をひそかに偲ぶのみである。

昭和六十二年二月吉日

松尾神社(まつおじんじゃ)宮司 ●●●●記』

※ 境内掲示より


工事中の道路はかなり広そうですが、細くて曲がりくねって坂もきついこの場所にこんな立派な神社が有るなんて想像を超えてしまいます。

説明書きも充実していて解りやすいのですが、それぞれの単語の意味が解らないところがありますので調べる必要が有りそうです。

西へ流れてきた木津川が大きく北へ向きを変えるこの周辺は交通の要衝であったに違いないと思うのですが、歴史の有りそうな説明書きがあちらこちらにもあります。

私は気が付いていなかったのですが、木津駅から木津川にかかる泉大橋を渡ると直ぐ此処であったことを知りました。


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