(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年03月30日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

木津川市木津殿城 和泉式部墓


京都府木津川市木津殿城にある「和泉式部(いずみしきぶ)墓」です。

寺院のようですがいろいろと調べたのですが、寺院としての名称は見当たらず、敷地内には末廣大神(すえひろおかみ)が鎮座しています。

私は技術者として歳を重ねてきて、文学には全く興味がなかったので聞いた事があるような無いようなと戸惑っていました。

「式部」とつけば「紫式部(むらさきしきぶ)清少納言(せいしょうなごん)」程度しか頭にインプットされていません。

増してや「和歌」となると、皆目知識がないというのが本当のところです。


和泉式部(いずみしきぶ)の墓

和泉式部(いずみしきぶ)は、越前守大江(おおえ)雅到(まさとう)清少納言(せいしょうなごん)紫式部(むらさきしきぶ)とともに平安時代中期を代表する女流歌人である。

生没年は不明。

おおむね十世紀末に生まれ、十一世紀初めに六十歳前後で没したものと思われる。

彼女は始め和泉守(たちばな)道貞(みちさだ)の妻となる。

そのため和泉式部(いずみしきぶ)と呼ばれる。

子供がやはり歌人として有名な小式部内侍(こしきぶないじ)である。

その後道貞(みちさだ)とも別れ、冷泉天皇の泉子、為尊(たねたか)親王・敦道(あつみち)親王と恋愛する。

このときの恋愛体験を告白的に物語ったものが「和泉式部(いずみしきぶ)日記」である。

両親王と死別した後、藤原(ふじわら)保昌(やすまさ)の妻となる。

晩年は、歌作がなく、全く判っていない。

式部二十歳前後から五十歳頃までの歌数千首を集めたものが「和泉式部(いずみしきぶ)集」である。

墓は高さ約一・三メートルの五輪塔で、中世に建立されたものであろう。

伝承によれば、式部は木津の生まれであり、宮仕えの後再び木津に戻り余生を過ごしたといわれているが、この伝承を裏付ける資料がなくて残念である。

いづみがは 水のみわたの 松のうへに

山かげ涼し 秋のはつかぜ      〔歌集〕

和泉式部(いずみしきぶ)の墓と称するものは全国各地にあり、なかでも京都市中京区誠心院のものが著名であるが、いずれも極め手を欠いている。

昭和六十一年三月

木津市教育委員会』


この地は駐車余地も無い割りに抜け道になっているのか、交通量が少なくありません。

木津駅からもそう遠くないので歩いてでもこれそうです。

私は越してからは、この方面に電車で来るのは相当骨が折れます。

駅までのアクセスが非常に悪く、運行本数も少ないので車移動ばかりになりました。

最近は歩いていないので、少々足が弱っていないか気になります。。

五輪塔(ごりんとう)は、『日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになる。このため現在では経典の記述に基づき日本で考案されたものとの考えが有力である。(Wikipedia)』とあるように、実際の墓ではないと私は思うのですが、どうなのでしょうか。

増してやかなり後に建てられているようなので、「供養塔、供養墓」として建立されたものではないでしょうか。

墓として使っているのは、何処かで見かけて気に入った日本人独特の短絡的思考回路によるものではないでしょうか。

墓と言うには少々無理があるように思います。

四天王寺(してんのうじ)を訪問すると巨大な五輪塔(ごりんとう)が数多く奉納されています。