(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2015年02月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇治市宇治下居 下居神社


京都府宇治市宇治下居に鎮座する「下居神社(おりいじんじゃ)」です。

宇治にやってきて、昼食を食べていると近くに神社が二つもあるのに気が付きました。

取り敢えず、道路で向こう側に鳥居が見えたのでやって来ました。

「宇治市の史跡紹介」の看板を見ていると白山神社(はくさんじんじゃ)が近くにありそうです。

神社の由緒書きは墨が消えかかっていて判読することは非常に難しそうです。本殿に掲示してあるのと内容は同じでしょうか。以下は本殿掲示です。


下居神社(おりいじんじゃ)縁起

御祭神

伊邪那美命(いざなみのみこと)

速玉男命(はやたまおのみこと)

黄泉事解男命(よみのことときのみこと)

祭祀

三月廿三日 十一月廿三日

創造と水と(はらい)の神を祀る。

太古の部族神として奉祀されたのが始まりで、折居(おりい)川畔に開けた集落の古さを示している。

万葉集巻一 七 額田王(ぬかたのおおきみ)の歌に

秋の野の み草()()き 宿れりし

宇治のみやこの 仮廬(かりいほ)し思ほゆ

仮廬(かりいほ)はこの下居の故地だという。

仮廬(かりいほ)の小屋、みやこは宮のあるところの意である。

大化改新(636)前後の作で額田王(ぬかたのおおきみ)はのち天智天武二代の寵を受け数奇な運命をたどった。

古代の日本の激動の時期である。

三代実録、貞観八年(886)閏三月七日の記事に、山城国正六位上降居神(おりいのかみ)を従五位下に叙したという降居神(おりいのかみ)下居神社(おりいじんじゃ)の神である。

以後、時代の変遷とともにさまざまの信仰に静かに支えられてきた。

権現(ごんげん)信仰はその一つであって熊野権現(くまのごんげん)を直接勧請(かんじょう)したのではない。

なお神域は京都府による下居神社(おりいじんじゃ)文化財環境保全地区である。

社務所

昭和六十年三月廿三日』



下居神社(おりいじんじゃ)縁起

当社の創祀(そうき)時期は明らかではありませんが、古来この地は斉明(さいめい)皇極(きょうごく))天皇が行幸の途中に行宮(あんぐう)を営んだ跡地と言われています。 祭神として、伊邪那美命(いざなみのみこと)速玉男命(はやたまおのみこと)黄泉事解男命(よみのことときのみこと)が祀られているほか、男神一体、女神二体の木造神像三体が安置されています。 また、「万葉集」巻(一)の額田王(ぬかたのおおきみ)のうたに詠まれている「宇治のみやこ」の場所だといわれており、境内にはその歌碑が建立されています。 なお、緑豊かで幽玄(ゆうげん)に満ちた境内は昭和五十九年に、京都府文化財環境保全地区に指定されています。』



秋の()のみ草刈(くさか)

()宿(やど)れりし宇治の

(みやこ)假廬(かりいお)し思ほゆ

この歌は、皇極天皇(きょうごくてんのう)の大和から近江への行幸につきそった額田王(ぬかたのおおきみ)の歌と伝えられ、「秋の野の草を刈って、その草で屋根を葺いて泊った、宇治のみやこの仮小屋のことがなつかしく思われる」という意味である。

平成四年十月

宇治市』


周辺を探して見ましたが、白山神社(はくさんじんじゃ)は見たら無くて代わりに白長神社(しろながじんじゃ)白長社(しろながしゃ)に辿り着きました。

それにしてもなんとも判断が付きかねます。

じっくりと地形図を眺めていたら、かなり離れた地域に鎮座していることが解りました。

折角なので宇治周辺を回る前に訪問してみることにします。


関連情報レポートリンク

【京都府宇治市 神社一覧】