(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年11月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇治市白川娑婆山 白山神社


京都府宇治市白川娑婆山に鎮座する「白山神社(はくさんじんじゃ)」です。

宇治市宇治下居に鎮座する下居神社(おりいじんじゃ)にあった「宇治市の史跡紹介」を見て宇治市白川娑婆山に鎮座する白山神社(はくさんじんじゃ)を探しに来て、気が付かずに前を通り越して、白川植田に鎮座する磐座(いわくら)から戻って来ました。

前を通りかかった時に全く気が付きませんでした。


白山神社(はくさんじんじゃ)

当地白川は、昔藤原(ふじわら)頼道(よりみち)が山荘を設けたところといわれ、頼道(よりみち)の女四条官寛子(かんし)はここに地を相して、康和四年(1102)金色院(こんじきいん)を造営した。

当社は久安二年(1146)に創建された金色院(こんじきいん)鎮守社(ちんじゅしゃ)である。

本殿は一間社流造り桧皮葺で、堂内には伊邪那美命(いざなみのみこと)坐像(重文・藤原)を安置している。

拝殿(重文・鎌倉)は宇治離宮の遺構ともいわれ、方三間単層四注造茅葺で、鎌倉中期の様式を示しており、腰高障子をたて住宅風の古建築である。

社宝として、十一面観音象(重文・藤原)がある。

宇治市』



白山神社(はくさんじんじゃ)金色院(こんじきいん)

白山神社(はくさんじんじゃ)延暦(えんりゃく)九年(790)に疱瘡(ほうそう)が流行した時に、その治癒(ちゆ)を願って建てられたと伝えられていますが、やがて藤原(ふじわら)頼道(よりみち)の娘で後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の皇后寛子(かんし)の建立と言われる金色院(こんじきいん)鎮守社(ちんじゅしゃ)となりました。

祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)で、平安時代後期の木造坐像を(まつ)っています。

康和(こうわ)四年(1102)に建立された金色院(こんじきいん)は、七間四面の本堂のほか、多くの堂塔(どうとう)坊舎(ぼうしゃ)を誇り、堂塔(どうとう)には金がちりばめられていたと伝えられています。

現在では白山神社(はくさんじんじゃ)惣門(そうもん)寛子(かんし)の供養塔といわれる九重石塔が残るのみですが、同じ白川の地蔵院(じぞういん)に保存されている数々の宝物や文化財から、往時を(しの)ぶことができます。』



歴史街道と宇治市について

古代史から近代にいたる近畿地方の貴重な歴史観光資源を紹介していくため歴史街道計画では図のようなルートを設定しました。

このルートの中で宇治市は、かな文字に代表される国風文化の成立、貴族社会から武家社会への移行、また、そんころ生まれた(みやび)(ぜん)の文化などを表わす平安から室町時代ゾーンにあたります。

平安時代に建立された平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)や、この地を舞台に描かれた源氏物語「宇治十帖(うじじゅうじょう)」が、当時の王朝文化の華麗(かれい)さをしのばせる都市です。』


鎮座地は、宇治市白川集会所の奥にあり、ある意味解りにくかったのですが、此処にということが解れば周囲を見回すと納得のいく場所です。

如何にも神様を鎮座させる地にふさわしい場所であると、往古の人々が決めたのも納得できるような理解できます。

宇治の中心地から少しばかり離れたこの場所までは少々距離があるのですが、自動車の無かった時代に此の地までは、徒歩で小一時間かかるでしょう。

私は一度この神社の近くを通って平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)まで親友とハイクをした経験があります。


関連情報レポートリンク

【京都府宇治市 神社一覧】