(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年09月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇治市宇治山田 宇治神社


京都府宇治市宇治山田に鎮座する「宇治神社(うじじんじゃ)」です。

まさか「宇治上神社(うじがみじんじゃ)」と「宇治神社(うじじんじゃ)」が別に存在しているとは、イラストマップでは気が付きませんでした。

毎度のことなのですが、全く知識の無い者がみて回れる観光マップや道標の作製は難しいことであると思いました。

知識のあるものが作成すると情報を端折ってしまうので見たものは気が付かないのです。


『延喜式内社

宇治神社(うじじんじゃ)

御祭神

菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

   第十五代応神天皇の皇子

御由緒

宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮(きりはらひけたのみや))跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡と伝えられている。

応神天皇が稚郎子命(いらつこのみこと)を天位に任命するが、稚郎子命(いらつこのみこと)は王仁博士から儒教の思想を学んでいたので、兄の大鶴鷯命(おおささぎのみこと)(後の仁徳天皇)を差し置いて天位に就く事が儒教の思想(長子相続)と違ったため、稚郎子命(いらつこのみこと)は天位を兄の大鶴鷯命(おおささぎのみこと)に譲ったが相譲りあいの後、死をもって節を全うした。

後に、兄の仁徳天皇は稚郎子命(いらつこのみこと)の宮居に祠を建てて神霊を祀ったのが、この神社の始まりである。

御神徳

宇治の氏神様

幼い頃より聡明にして阿直岐や王仁博士について学問の道を極められ、我が国最初の文教の始祖であり、学業や受験合格の神様として崇められている。

御本殿

鎌倉時代初期の建物で、三間社流造り、桧皮葺きで、御神像と共に国の重要文化財に指定されている。』



『宇治市指定文化財

木造狛犬 ニ躰(一対)

  現在、木造の狛犬は歴史資料館に預けてあります。

宇治神社(うじじんじゃ)

  宇治市歴史資料館寄託

  像高 阿形80.9センチメートル

     吽形87.7センチメートル

  一木造(ヒノキ材) 彫眼 彩色

  鎌倉時代

  昭和六十三年三月三十一日指定

本殿外陣に安置されている木造の狛犬は、開口する獅子(阿形)と一角を持つ狛犬(吽形)で一対とする。

現存する木造の狛犬の作例中では最大級に属する。

当初から一対として神像守護の霊獣として造られ、前脚のふんばり胸を張った緊張感のある姿勢、豊かなたてがみのそよぎや面部の肉取り、背筋が立ち、(あばら)をあらわにした引きしまった体など、各所に鎌倉時代ならではの写実的な表現がみられる。

彫技においては阿形が優れ、格調高い面貌表現は特筆すべきものがあり、鎌倉時代前期の作例にあい迫る佳作として極めて貴重である。

なお、他に喜兵衛作の桃山時代白色 面(雪掻の面)が市の指定文化財に、また、平安時代の木造菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)坐像と鎌倉時代に造られた本殿はともに国の重要文化財に指定されている。

平成六年七月

宇治市教育委員会』



みかえり兎

御祭神「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」が河内の国から、この土地へ向かわれる途中、道に迷われてしまいました。/p>

その時、一羽のうさぎが現れ、振り返りながら、後を追う「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」を正しい道へと案内し、お助けしました。/p>

この御由来のうさぎを当神社では「みかえり兎」と呼び、人々の人生を道徳の正しい道へと導く神様の御使いとして伝わっております。/p>

また、宇治という地名は、この云われよりついた名前ともいわれています。

宇治神社(うじじんじゃ)



招魂碑

この碑は、もと中支派遣工兵第百十六 隊(嵐第六二二五部隊)の生存者が、全国各地の現存戦友に呼びかけて浄財を集め、約四百八十名よりの寄金により、第二次大戦に於て、中支の 野を転戦活躍し、今日の平和の礎となって、異郷に散った五百余名の戦歿勇士と愛馬の霊を慰め、その遺烈をたたえる為に建立したものである。

当宇治神社は、原隊であった伏見工兵隊とのゆかりが深く、今は亡き戦友と共に、かつて此の宇治川の急流に挑んで、渡河架橋などの訓練に心血を注いだ思出の地であり、又、宮司の花房昇氏が元第二中隊長であった関係上、格別のご厚意により、此処を英霊の安住の場所に出来たことは真に幸いである。

十一月十八日、紅葉色映え白菊の香る中で、宇治市長(代理)市会議長、総代会、遺族代表など、各地より約三百名が参列して盛大かつ厳かに除幕、鎮魂式を挙行して、亡き戦友と相場の霊をねんごろに弔った。

因みに、この碑の本体は、名石、能勢黒づくりで、御影石の台座に安置し、碑の前部には、五百余名の戦歿有志の名簿が埋蔵されている。

招魂碑は花房宮司の揮毫によるものである。

以上

昭和四十八年十一月

工兵第百十六聯隊

建碑委員会』


宇治上神社(うじがみじんじゃ)」と「末多武利神社(またふりじんじゃ)」も訪問したいし、地元の方に教えていただいた仏徳山(大吉山)を訪問したいので、紅葉の時期に再訪したいと考えています。

メインの「平等院」は藤の花の頃に訪問したいと思っているのですが、紅葉もいいかななんてとも考えています。

テレビドラマの撮影をしていたようなので、次回訪問の時に観光客が大量に来ていない事を願っています。


関連情報レポートリンク

【京都府宇治市 神社一覧】