(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年09月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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綴喜郡井手町井手西高月 井堤寺跡


京都府綴喜郡井手町井手西高月 にある「井堤寺(いででら)跡」です。

綴喜郡井手町多賀一ノ谷にある大正池にキャンプに来た時に毎日この前を通っていたのですが全く記憶にありません。

この道路からは、当時話題になっていた巨大な「わたしの仕事館」が遥か彼方に見えてそれに気がとられていたせいかもしれません。


井堤寺(いででら)の柱跡について

平成十三年夏、府道和束井手線の改良工事に伴う発掘調査で、東西に並ぶ七基の柱穴を確認しました。

一辺が1m前後の四角形の掘り方を持つ柱穴は、3m(10尺)ごとに一列に並んでいました。

柱穴内には柱の跡や柱を支えた根石も見つかりました。

調査地が狭かったことから詳しいことは不明ですが、これらの柱穴は建物の一部になる可能性があります。

この地には、天平時代の左大臣・橘諸兄(たちばなもろえ)が橘氏の繁栄を願って建立した井堤寺(いででら)があったとされています。

今回確認された柱穴群は、壮麗な建物群を配したとされる井堤寺(いででら)の建物の一面とも考えられます。

伝承にしか残っていなかった井堤寺(いででら)に関する遺構が見つかったことは重要な成果といえます。

平成十四年一月』



井堤寺(いででら)

井堤寺(いででら)は、円提寺(えんていじ)井手寺(いででら))とも称され、天平時代の左大臣・橘諸兄(たちばなもろえ)公が、母・美千代の一周忌にちなみ創建(そうけん)した氏寺と伝えられています。

造営の折諸兄公は、金堂の四面に山吹を植え、黄金色(こがねいろ)の花・山吹が水に映る風情を楽しめるように工夫されたとの事です。

現在は(しの)ぶよすがもありませんが、付近一帯には、通称名として薬師堂・ドウノウエ等の地名が残されており、奈良時代の井堤寺(いででら)は、七堂伽藍(しちどうがらん)壮大(そうだい)威容(いよう)を誇っていたと考えらます。

この他井堤寺(いででら)には、小野小町が出家して当寺で余生を過ごしたことなど、小町ゆかりの伝説も伝わっています。

井堤寺(いででら)跡からは、礎石のほか、銅銭、海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)、軒瓦等が出土しています。

出土した蓮華文(れんげもん)の丸瓦と唐草文(からくさもん)の平瓦を復元し、この四阿(あずまや)の軒瓦として用いています。

◎古図絵は「山城国井堤郷旧地全図」と呼ばれ、原図は平安時代の康治(こうじ)二年(1143)に描かれたものです。

この絵図にみるように付近一帯には井堤寺(いででら)のほか、玉井頓宮(たまいかりみや)、諸兄山荘等が描かれ、橘氏一族の別業地として栄えた往時(おうじ)が偲ばれます。

いにしえの井手の町の姿を知る手がかりとして下さい。』


説明文を読んで安心しました。

訪問した当時はなかったということですね。