(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年04月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都市上京区京都御苑 京都御苑 厳島神社


京都御苑(きょうとぎょえん)で桜の花を捜して、宗像神社(むなかたじんじゃ)を捜していたら、先にこの九条池にたどり着いてしまい、厳島神社(いつくしまじんじゃ)に着いてしまいました。九条池は勾玉の形をしているということで別名、勾玉池とも言うそうです。また、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の横には拾翠亭が池の向こうに見えました。

こじんまりとした境内が九条池に突き出した形になっています。社殿も小じんまりとした小さなもので、八坂神社などと比較すると大きな差があります。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)の由来によると
『祭神 市◇島姫命 ◇津姫命
    田心命姫  祇園女御

当社は往普平相國清盛公 安藝の國佐伯郡に坐す厳島大神を崇敬の余り摂津の國菟原郡兵庫築島(神戸市兵庫区永沢町)に一社を設けてこの大神を歓請し給い鎮祭されたのであり後 故あって側らに清盛公の母儀祇園女御をも合祀されました。後世年を経てこの九絛家邸内 拾翠池の鵜中に移転遷座されたのであります。(濫◇年代等は天明八年京都大火の◇旧地番く焼亡して詳ではありません。)

この地旧公爵九絛家の邸内に属せしにより自ら同家の鎮守となりました。又古くより家業繁栄、家内安全の守護神として一般の人々よりも深く崇敬されているところであります。

神前の鳥居(重要美術品)は、破風形の鳥居として有名であり詳細は本殿横の由来書をご覧ください。』となっています。

破風形の鳥居『社前の鳥居(重要美術品)は、平清盛公兵庫厳島の同神社に建てられたもので第104代後柏原天皇の御代永正の足利家の管領細川武蔵守高國 有名なる京都の彫刻師後藤氏の邸を掠奪して住居として居たが、大永元年3月(1521年)足利12代将軍義晴公 播磨國より上洛して暫くこの邸に在留際 取り寄せて 庭前に建て置かれしところ 足利市滅亡の後 徳川家康公 後藤氏に所領を下賜の沙汰あり 望に任せて後藤氏を右邸に復住せしめたるが

慶長9年徳川家康公此邸に立ち寄らせ給ひし折り 御覧あり 該鳥居の古稚なる形を深く愛玩し給ひし事ありてより 以来 京都所司代の交代後とに必ず 巡見すべき物件となり 明和8年3月(1771年)後藤法橋玄家の代に 内大臣 九絛道前公(芳盛光院殿)鎮守の厳島神社由来有るにより當時所司代 阿部飛騨守正元(武蔵國鷹忍城主)を以て幕府に懇望し給い 當神社に復帰す 之は最も世に類例なき姿にして 即ち破風形の鳥居を◇し 昭和13年6月文部省より重要美術品に指定される。』とあります。


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