(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年04月05日日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都市東山区円山町 円山公園


2008年4月3日に京都に花見に訪れて少しだけがっかりして、今日5日は、大谷祖廟(おおたにそびょう)に父のお詣りのついでに、知恩院(ちおんいん)知恩院(ちおんいん)法然上人御廟堂(ごびょうどう)円山公園(まるやまこうえん)八坂神社(やさかじんじゃ)高台寺(こうだいじ)と東山周辺を訪問しました。京都の桜の見どころでもお薦めでした。

高台寺の桜を見た後に、円山公園(まるやまこうえん)に戻って来ました。昨年の夏に来たときには、なんとなく評判倒れの公園かな、なんて思っていました。公園を散策しても別の此れといった特徴も感じられずに、中央付近にある池に人が群がっている理由もあまり理解で来ませんでした。鯉と水鳥が少し泳いでいるのと、周りに店が数軒あるだけです。

桜の季節に来て理由が理解できました。桜の見事な公園です。名物の枝垂れ桜は、高台寺(こうだいじ)の枝垂れ桜を見た後では、ちょっと寂しさを感じます。巨大な枝垂れ桜の老木かといった印象しかなかったのですが、先日の京都御苑(きょうとぎょえん)(京都御所(きょうとごしょ))や二条城(にじょうじょう)に比較すると桜の木の量の多さが違います。平野神社(ひらのじんじゃ)とはまた違った印象です。

池のほとりに「円山公園(まるやまこうえん)の由来」が説明されていました。「平安の昔、今の円山公園(まるやまこうえん)一帯は一面真葛(まくず)(すすき)などが生い茂り真葛ヶ原と呼ばれていました。鎌倉時代、慈円僧正が

「わが恋は松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原に風さわぐなり(新古今集)」

と詠んでから一躍和歌の名所となり、以来多くの歌にうたわれました。江戸時代に入ると安養寺塔頭の六阿弥(左阿弥、也阿弥)などいずれも何阿弥と称した六坊)が席貸を始め、次第に賑やかさを増してきました。

この頃から「慈円山安實寺」の「円山」がこのあたりの呼び名になったと伝えられています。

明治19年10月、京都府は円山一帯を公園地に指定し、同年12月市政が施行されると同時に京都府から京都市に管理が移されました。その後何度か工事を行い、大正2年、平安神宮神苑をはじめ、無鄰庵(山県有朋公邸)、碧雲荘(得庵野村徳七別荘)などの名園を作りだした、造園家、小川治兵衛氏の手により中央に池を配した回遊式日本庭園に作り変えられたのが現在の円山公園(まるやまこうえん)の姿です。(京都市)」ということなのです。

屋台の後ろに見事な枝垂れ桜がありました。各枝には玉のように桜の花が密集しています。妻曰く、餃子を蒸している蒸気が桜にかかっていて「かわいそうやな」には同感です。但し、この店のおじさんは、この桜の見事さに圧倒されたのでしょうか、屋根をつけずに、桜がよく見えるような状態で商売をしていました。

それにしてもこの公園は、桜の木の本数も多いのですが、その下には通路もないような状態でブルーシートが敷かれていました。これって場所取りなんでしょうか。日本人のマナーの悪さが出てしまいますよね。

自分さえ良ければという、欲深いマナーの悪さです。大人がこのようなことをしていては、子供がまともに育つはずはありませんよね。

先日の平野神社(ひらのじんじゃ)には少しありましたが、大阪の大川大阪城の周囲西の丸庭園には、枝垂れ桜がありませんので京都へ来た目的は達成できました。