(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2007年08月17日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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京都五山の送り火


生まれて初めて京都の大文字焼きを眼にする機会がありました。約10万人が詰めかけたとの報道がありましたが、出町柳の鴨川にかかる橋の周辺は人の波でごった返していました。妻は始めてみる大文字の送り火にいたく満足の様子でしたが、私たちを取り囲む回りの状況は至って平常的な光景が繰り広げられているようで興味深いものでした。

最近、デジカメの報道がほとんど無いのはこのせいかと思えるくらい、8時の点火時点では、一斉にケータイのLEDの薄ぼんやりとした灯りで取り囲まれます。一斉にケータイを開いて大文字焼きの方向に向けてぱしゃぱしゃとシャッターを切るものですから、画面を見ているのか、実物を見ているのか解からない人の群が同じ行動を取っているのが面白いと感じました。

その後、人が上の方向へ移動を始めたので混ざって歩いていくと、山火事かと思えるような火の灯りが前方の山に現れたと思うと、「法」の字がかすかに低い山に見え隠れしていました。ほとんど見えないと言った方が正確かもしれません。さらに上へ進むと今度は「妙」が家と木立の間に見え隠れします。これで終わり。なんのことはない、山が低すぎるのか木々が成長しすぎたのか、家が高くなったのか私には理解できませんが、これが環境の変化かもしれませんね。盛夏を彩る風物詩の代表格であることは間違いないとは思いますが、すべては「大文字」に収斂されているのかもしれません。

「盆」の行事は地方それぞれで、先祖を迎えて、先祖を送るというこの習慣や風習が耐えることはないのでしょう。これは個々人の唯一、生きた証を求める行事なのでしょうね。一般人にとっての生きた証は、子孫が継続することであり、それぞれのある時点に存在した意義や証と言うものは、「盆」と言う行事に収斂されるのかもしれません。

私は30歳の時にカトリックの洗礼を受けて、ミサもサボりまくっていますから、自称、「怠り信者」「エセ信者」ですが、おかげで父が没して12年余の間、毎月のお経はお寺の都合以外は欠かせたことがありません。不思議に感じる方も折られるかも知れませんが、自らの信仰をきちんとしようという思いは、宗教宗派を越えてそれぞれ個人に対する礼を失することのないように配慮されますから、過去からの仏壇を捨てたりという行為は、信仰が家のものであるという解釈からそういう行動を導き出すものなのでしょう。

私がお世話になった友人の父は、カトリックですが家にいくと彼は仏壇に入っています。仏壇といっても、仏教の飾りは取り払われて中に十字架が鎮座しています。始めはおかしく思いましたが、結局はただの入れ物という視点から言うとふさわしい入れ物かもしれません。仏壇とはそういう用途に創り出されたものですから、作った側の意思はともかく使用目的としては妥当なことであると思います。

天候不順で日々大変な生活を営む中で、先祖に対する「自己存在」の感謝を表す大切な行事かもしれませんね。8月15日がお盆の最終日であり、第2時世界大戦に対する日本の終戦記念日(敗戦記念日)であることも、なんの関連もないということは無いかも知れませんね。もっと奇妙なのが、8月15日は「聖母マリア被昇天」の日であり、キリストの母の命日であることも知識として加えておくと、不思議な因縁の絡み合いに気がつくかも知れませんね。

とにかく62年間継続した「平和」、特に「誰一人殺さず、誰一人殺さなかった。」この期間を更に継続する努力は継続していく必要があると思いますし、悲惨な殺戮の繰り返しが地球上から無くなるように、祈り、行動していかなければならないと思います。