(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年01月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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甲賀市甲南町深川 天保義民別れの一本松


滋賀県甲賀市甲南町深川にある「天保義民(てんぽうぎみん)別れの一本松」です。

伊賀街道(いがかいどう)のルートに此処の名があり、そう言えば訪問したなと思っていました。

そう言えば矢川神社(やがわじんじゃ)を参拝した時に、野洲川に掛かる矢川橋東詰めに「天保義民(てんぽうぎみん)メモリアルパーク」があり巨大な石柱がモニュメントとして慄然と天を仰いでいました。

そんなに離れた場所ではありません。

それに此処は伊賀街道(いがかいどう)のルートであるということを再認識しました。


天保義民(てんぽうぎみん)別れの一本松

此の地、天保義民(てんぽうぎみん) 深川村 庄屋

田中安右衛門、一揆の責を負ひ

天保十三年十月二十三日

公儀差廻しの捕吏により

水口屯所に曳かれゆく途上

肉親、身寄、村人ら泣く泣く高塚道に

おとを追ひたる此の一本松に至りて

捕吏の長、情けはこれまで也

あと追ふを許さずと高手小手に縄うちて

素足にして曳きたつれば

身寄、村人達、

草履のみ哀れに残りし地に伏して

太平の山陰に消えゆく義民の姿に土をつかみて号泣したる

血別の趾なり

昭和四十三年三月

甲南町大字深川

大字深川区・甲南第一自治振興会』

※ 境内掲示より


歴史の本を見ていると江戸時代の一揆というのは、侍が刀等の武器を持っているから一方的に強かったわけではなく、農民が鎌などを持って襲ってくることが怖かったなんて記述もありました。

但し、農民などの要求が認められても、扇動したという事で代表者は獄門となり見せしめに殺害されたようです。

この辺りの意識が今でもお上として官の言う事を聞くという習慣として残っているように思います。

時代が変わっても過去を払拭出来ないなんて日本社会は不思議ですね。